「印象派の人々」�A

印象派”というのは誤解されやすい言葉で、「事物というよりは、その印象を描いた絵」と思い込んでいる人もいますが、そうではありません。その出発点となった記念碑的作品がマネの「印象、日の出(Impression, soleil levant)」だったということ、そしてそれを見た当時の新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄したことに由来すると言います。その特徴は簡単に言ってしまうと�@フォルムへのこだわりのなさ、�A絵全体にあふれる明るさ、この2点です。

 フォルムへのこだわりのなさは、先日もお話しした通り、移ろいやすい陽光の下の風景をキャンバスに定着させようとすると速く描く必要があったこと、そして形だけなら写真の方が正確たったからです。絵の明るさの方は、これが印象派の主要なテーマです 。

 しかし困ったことに、絵の具は混ぜれば混ぜるほど暗くなるという性質を持っています。混ぜ方としてはパレット上で混ぜる、キャンバスに塗り重ねることで混ぜるという二通りのやり方がありましたが、いずれの場合も同じです。同じ色彩でも混ぜれば混ぜるほど明るくなる光の色とは正反対なのです。そしてそこで画期的な技法が開発されます。視覚混合という混ぜ方です。

 視覚混合は現代人には非常に説明しやすい概念です。それはカラーテレビと同じだからです。カラーテレビはぐんと近づいて虫眼鏡でみると、光の三原色の粒になってしまいます。それを遠くから見ることによって粒を粒として認識できなくなり、目の中で混ざり合ってさまざまな色彩をつくりあげます。

 印象派の画家たちは色彩を三原色にまでは還元しませんでしたが、かなりそれに近いところまで行おうとしました。スーラ―の点描が代表です。モネでもゴッホでもそうで、印象派の絵は離れてみることが必要です。

 さてそうした印象派の絵を基礎として始まった学校の図工美術教育では、水彩絵の具で同じ効果を出すことが求められました。というか、水彩は最初から明るい絵を描くのに向いていたのです。水で薄めてビショビショになった絵の具は非常に透明感が高く、画用紙に乗せると色むらができる上に隣りの色と干渉しやすくなります。それが見る者の目に視覚混合によってまた混ざり合い、独特の明るさを生み出すのです。

 ですから水彩を扱う場合には基本的に「ビショビショ絵具」(これは私の造語ではなく、専門家の用語です)でなくてはなりません。そして塗り重ねることをしない。目の中で混ざり合うことをあてにして、細かな塗り分けは苦にしない。いずれも小中学生だった頃の私の意の反するところで、これでは評価されるはずはありません。

 もちろん時代は変わりました。現在の図工美術の中心的課題は遊びと個性です。いまどき「絵画はこうでなくてはいけない」というのは古いやり方です。しかし日本の図工美術教育がどういう経路をたどってきたかを知ることは、その未来を考える上でもとても重要なことかと思います。