カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「結局、学校かな」~親がダメだと嘆いても、何も始まらない

 私が子どもだったころ、母は内職をしているだけの専業主婦でした。子育てが一段落したころから急に外に出て働き出し、70歳になって「みっともない」という理由で辞めるまで、外で働き続けました。

 母が専業主婦として家にいた昭和30年代〜40年代というのは、おそらく日本史上でももっとも専業主婦率が高かった時期で、オイル・ショック(昭和48年)以降になると、多くの家庭が主婦の収入なしでは生活できなくなって専業率は下がって行きます。

 私たちは何となく昔の親は熱心に子育てをしていたように思っていますがそうではありません。日本人の大半が農業に従事していた時代、農家の嫁は体のいい労働力確保で、家の中になどいなかったのです。もちろん子育てもしません。子どもを育てていたのはたいていが姑や小姑、大量にいた姉妹兄弟で、親などは夕方外から帰ってきて、ただ可愛がっていれば用は足りたのです。生活は苦しかったでしょうが、子育てという部分だけを取り出すとずいぶん楽な時代だったのかもしれません。

 子どもの方も大家族の中で育てば自然に社会性の基礎を学びますし、少し大きくなると近所に社会そのものがあって、その「子ども社会」の中でたくさんの学習をしてから学校に来ます。その意味では学校も、社会性を身にけさせる苦労は少なかったはずです。

 翻って現代、私の母が勤めだしたころから、共稼ぎの家が増えるとともに核家族化も進み、同時に地域子ども社会も消えていきました。ですから子育ては夫婦二人だけの仕事になってかなり苦しくなったのです。「家庭の教育力が落ちた」という言葉はしばしば耳にしますが、親がダメになったのではなく、親に任される部分が多くなりすぎたです。

 私たちもしばしば、「親に問題がある」「家庭が子どもを支えていない」といた言い方をしますし、事実その通りである場合も少なくありません。しかし言ったところで親が変わるわけでも家庭が変わるわけでもありません。大人を変えるのは容易ではないのです。

 学校が投げ出しても拾う場がない以上、やはりその子は学校が育てるしかありません。学校にすべてを任せるなと一方で言いながら、やはり学校しかないなと私も思うのです。