カイト・カフェ

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「子育ての収穫期」~今からできることはほとんどない

 用があって叔母の家に行ったら、ちょっと相談事があるので上がってほしいということになりました。聞くと末の息子(とは言っても50代後半になる私の従弟)のところの17歳の孫娘が大変だと言います。どう大変なのかと聞くと、叔母も80歳過ぎですし一緒に住んでいる孫の話ではないのであまり要領を得ないのですが、とにかく言うことをきかない、頑固で一度言い出したら譲らない、勉強をしない、家事も自分の食べた食器を洗うくらいで他は何もしない、父親と喧嘩してもう一か月以上も会話をしていない等々。

 17歳の女の子ならそれくらいはありそうだとも言えますし、一人娘で小さなころから親子三人仲良く暮らしてきたことを考えると確かに“大変”といえる事態かもしれません。比較的行き来のある親戚ですが、親子関係の機微といったところまでは見てませんから返事に窮しました。そこで“一般論だけど”と断ってからこんな話をしました。

 子どもの16歳〜17歳は子育ての収穫期なんだよ。できた作物の実が小さい、形が悪い、色がショボクレている、味が悪いといっても今からできることはほとんどない。今さらタネを蒔きなおしても芽は出ないし、肥料や水をやりすぎたり葉やら茎やらをいじったりすると作物自体を傷めかねない。もうここまで来たら育て方が悪かったと諦めるしかない。

 これが本物の百姓だったら10年も20年もやって同じ作物を何十回も作れば必ず上手くなる。質の高い揃った実を収穫できるようになる。しかし子育てはそうじゃなくて私のところでさえ2回(娘と息子)、彼のところはわずか1回、初体験でこれが最後。だから多少思い通りに育たなかったとしてもそれで我慢するしかない。そういうものだろう。
 それでも傍から見ればけっこう上手くやってきたように思うけどね。

 もっとも私も元教育者だ。二人の子どもを育てた親の先輩ということもあるからただ“諦めましょう”じゃあ芸がない。そこで考えると(基本的にはもう打てる手はほとんどないけれど)、ひとつ言えるのは「現状の再把握と目標の捉えなおし」というのはあるかもしれない。つまりあの子自身やあの子と親のあり方を見直すということだ。

 子どもの方がもういっぱいいっぱいで高校生活を全うできるかどうか分からないという状況なのに、親の方はどこでもいいからせめて国立大学に入ってほしいといったチグハグなことをしてはいないか、ほんとうは社会に出るより家に入って“いいお嫁さん”“いいお母さん”になるのが夢といった子なのに男社会で伍して働く術などを説いていないか、つまり子どもの現状と親の描く夢が合っているかどうか、そういうことを見なおす――。
 それが合っていないと、子どもから見ると親は無理難題を押し付けてくるということになるし、親の側から見れば子どもが思う通り、願う通りに動いてくれない、つまり“言うことをきかない”ということになる。
 ただしたいていの場合、子どもの現状と親の思いを一致させるというのは親の方が一方的に“諦める”ことと同じだからなかなかしんどい。しんどいけれどやらなければ事態はますます悪い方に進んでしまう気がするね。

 子どもが親の言う通りのしようと努力してくれるのはせいぜいが小学校の低学年まで。高学年以降になると相当に複雑な作戦を立ててことを運ばないとうまく行かない。高校生以上になるとそれもできない。
 実際、ウチの子は二人ともいい子だったけどそれでも高校生になってからはかなり気を遣い遠慮もしたよ。今だって思うことをそのまま口にすることはない。

 ああ、今思い出したけど、叔母ちゃんの話だと親子の会話もできなくなってるんだよね。それは困るね。
 会話ができないということはまったく指導も誘導もできないということだ。それどころか娘の現状も分からないということだ。
 奥さんも間に入って橋渡しするような人じゃないし――。そうなるともう、「親子で普通の会話ができる」くらいが現実的な目標で、そのために頑張るところから始めるしかないかもしれんね。