「戦争への系統樹」�@

 北朝鮮が5日、ノドンとみられるミサイル3発発射し、北海道奥尻島の西方200〜250�qのほぼ同一海域に落下させたというニュースが世界を駆け巡っています。今年になって21発目だそうです。

 打ち上げるたびに精度を増し、おそらく背後で進んでいると思われる核爆弾の小型化に成功すれば、まもなく北朝鮮は世界で唯一、核の先制攻撃をしかねない国となります。何しろ通常兵器が貧弱ですから使えるものが他にないのです。

 今年のはじめ、ミサイル発射に次々と失敗していた時期、「これで金正恩の面目は丸つぶれ、権威は地に落ちるだろう」と言っていた“専門家”の皆さま、責任を取ってもらいたい。

 皆さまが“これは笑い事ではない、新たな開発計画の始まりだ”と声を合わせて言っていたら、事態はもう少し違ったものになっていたのかもしれないのです。“専門家”ですから私のような素人と一緒にミサイル失敗を嘲笑っていてはいけなかったのです。

 反省しましょう。

 さて、生物の進化について描かれた「系統樹」というものがあります。進化の過程を木の幹と枝のように示したものです。

 その図を見るとき、私たちは普通、根の方から順を追ってみることはありません。やってみてもいいのですが、例えば「私たちの祖先からまずキツネザルやロリスが分かれ、続いてメガネザルが分離し」と辿っているうちに、分離しなかった方(人類の元となったグループ)にイメージのわかないことに気付くからです。

「メガネザルが出て行ったのは分かる、けれど残った方(我々)はどんな姿形をしていたのだろう……」

 そこで今度は「ヒト」から逆に辿ると、人類の進化はかなり単調なものに見えてきます。かつてチンパンジーと一緒の時代がありその前はゴリラも仲間で、その先ではオランウータンと一緒だった、というわけです。しかしそれだとやはり人類史を体験したことにはなりません。

 人類が“ヒト”に至るまでにはたくさんの混沌と迷いがあったはずです。何か特別な理由があってキツネザルやロリスと袂を分かった、しかしそれはもしかしたら起こらなかった可能性もあって、実際、起きていなかったら人類は誕生していなかったのかもしれない――。

 同じことは歴史についても言えます。

 江戸時代を後ろから見て、「江戸幕府はなぜ270年も続くことができたのだろう」と問うことは簡単ですし、そうした視点からいくつかの答えを見出すことは可能です。多くの歴史家たちはそうしたやり方で江戸幕府を分析し、その盤石さと脆さを説明しようとしてきました。

 それはもちろん正しいやり方ですが、江戸時代を生きた人たちにとっては決して既定の事実ではありませんでした。

 由井正雪は1651年に本気で幕府転覆ができると考えていましたし、1837年の大塩平八郎も世直しができると思っていました。

 1860年の段階で徳川幕府が7年後に潰れると本気で考えた人は一人もいませんでしたし、実際に倒れた時も、その瞬間までまったく予想しなかった人も多かったはずです。

 さて今日から数えて数十年後、あるいは百数十年後、誰かが「北朝鮮金正恩体制の終焉」といった感じの本を書きます。その書物の中で平成28年の私たちも鮮やかに歴史に織り込まれているはずです。2016年がどういう年だったか、(9月当初の時点で)21発というミサイル発射の意味も、それが中国で開かれたG20の首脳会議の最中だったことの意味もきちんと説明されるに違いありません。

 しかし現在は違います。

 東アジアの危険な歴史のど真ん中にいて、私たちには先が全く読めていない。人類の祖先がオナガザルと別れたとき、これからもテナガザルやオランウータンを分離しながら、やがて自分たちは偉大な“ヒト”となるなどと、だれも思わなかったように、百年後の東アジアがどうなっているのか、正確に知る人は誰もいないからです。

                              (この稿、続く)