カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「授業の位置」~それを挟んで教師と児童生徒がせめぎ合う

 若い頃から敬して遠ざけたもののひとつに演劇があります。芝居自体はたくさん見たのですが、劇団に近づかないようにしていたのです。入れば抜け出られないことが分かっていました。そのくらい魅力的な世界です。

 ところで、映画監督や演出家の頭の中には、演技に対する明確なイメージがあって、役者がそれにぴったりの演技をするまで果てしなくリハーサルを続ける、そんなふうに思う人もいるかもしれませんが、そういう監督や演出家はむしろ少数派のようです。

 演出家の多くは、役者が生み出す幾百の演技の中から自分のイメージをつかみ出そうとしています。演出家の頭の中にはモヤモヤとした何かがあり、それに対して役者は演技のカードを示し「これですか?」と問いかける、それに対して「違う、もっとこうだ」という演出家のカードが用意され、役者はまた新たな別のカードを差し示す、とそんなふうなのです。ですから完成した演技は、役者のものでも演出家のものでもなく、また役者のものであると同時に演出家のものでもあると言えます。

 授業者と児童生徒の関係も同じです。
 授業には指導案という設計図がありますが、その通りに子どもが動いたらよい授業というわけではありません。子どもたちが次々と繰り出すカードに対して授業者が別のカードを対抗させ、その結果両者の間に素晴らしい授業ができあがる、そんなふうなのです。

 さて、今日の研究授業、楽しみに見に行きましょう。