体感公教育

 今日1月10日は『110番の日』です。

 なぜ警察の緊急番号が110になったかというと、ダイヤル式の電話機の時代、番号を回す距離の一番短い「1」を立て続けに回し、一番長い「0」を回して一呼吸、落ち着いて連絡しよう、という配慮だったそうです。

「おい!急げ、すぐに110番に電話しろ!」

「・・・・・・」

「何をしてるんだ、急げ!」

「・・・110番って、電話、何番だったっけ・・・?」

 警察について最近気になっている言葉に「体感治安」というものがあります。

これは実際の犯罪発生率とか検挙率とかと無関係に存在する、治安に対する人々の感じ方のことで、具体的にいえば、現代の日本では治安が悪化しているわけでも凶悪犯罪が増えているわけでもないのに、アンケートを採ると国民の非常の多くの部分が治安の悪化を感じている、つまり体感治安が非常に悪化しているという言い方になります。

 それで思ったのは、「体感公教育」というものも世の中には絶対あるよな、ということです。実際に公教育が悪くなっているか、学力が下がっているか、非行が増えているか、教師の指導力が下がっているか・・・といった一切と無関係に存在する人々の公教育に対する想い、それが体感公教育。すると、それだけは確実に悪化していることがわかります。

 なぜ体感公教育がこうまで悪化してしまったのか。そして体感公教育の悪化に対して私たちは何ができるのか、それについては別に考えましょう。

 今、言いたいことは、「体感治安」という言葉が発明されたことにより、警察のほうはずいぶん救われたのではないかということです。

 実体のない治安悪化を前提に、政府やマスメディアが警察官を無能あつかいにし、給与を下げろとか10年ごとの解任―再雇用制度を導入せよとか、検挙率と給与をタイアップさせようとか言い出す前に、治安の悪化は虚妄だという考え方が注目されたことは、日本の警察と日本国自体にとって、とても幸せなことです(検挙率と給与がタイアップされたらたいへんなことでしょ?)。

 うらやましいですね。