カイト・カフェ

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「イップスとムカデのジレンマ」~振り返ってみれば人間は本当に難しい③

 長く時間をかけて築いてきた熟練が、
 一瞬のうちに失われることがある。
 それが余技で起こるならかまわないが
 職業上の特殊技能だとたいへんだ。さらに――、
 という話。(写真:フォトAC)

【技能が一瞬で失われるとき】

 昨日の記事の最後の方で、私は、
「一度身に着いた『すらすらできる』は、そう簡単には失われない」
と書きました。ところが驚くほどあっけなく失われることもあります。

 教員になった年に地域の草野球チームに強制的に入れられ、おそらく大学1年生の体育の授業以来10年ぶりくらいにボールを握ったら、まるで思ったところに投げられなくてびっくりしたことがあります。10mほど離れてのキャッチボールから始めたのですが、投げたボールが5~6m先の地面に、突き刺さるように当たって跳ね上がったのです。ボールが指に引っかかって叩きつけるように投げてしまったのでしょう。しかしその瞬間、我が身のことなのに何が起こったのか分からず、心の中ではプチパニックを起こしていました。心身ともに虚弱・軟弱とはいえ一応男の子(子ではないか)、キャッチボールくらいできなければ名が廃ります。
 そこで2回目は意図的に早く指先から離したのですが、今度は相手の頭上を越えて恥の上塗りです。それで恐怖が走り、以後きちんとボールを投げられる気がしなくなりました。
 
 考えてみればキャッチボールをロボットにやらせようとしたら大変です。軌道を計算して適切な速度でアームの振り上げ、リリースポイントで正確にホールを離し、その際に自然にかかる回転や吹いている風、湿度なども考慮して投げなくてはならないのです。ロボットでさえ難しいことを、人間の私ができるはずがない――と、そんあことを考え始めたらもうおしまい。
 それを最後に野球のボールを握ることもなく、父と息子の定番コミュニケーション(=キャッチボール)も、息子のアキュラとすることはありませんでした。アキュラが大谷翔平になれなかったのもそのためです(ということにしてあります)。

イップス

 キャッチ・ボールは私にとって必須の道具ではありません。ですからどうということはありませんでしたが、生きて行くうえでの中心的な技術・能力が失われると大変です。生活できなくなるからです。
 年金生活者の今の私は、職業的などんな技能を失っても暮らしに困るということはなさそうですが、教師としても父親としても頑張らなくてはならなかったあの時期、万が一にもしゃべれない病気になったら本当に困っていたことでしょう。
 私のかつての先輩で、40歳代で脳溢血のためにうまく言葉が出なくなった人がいます。一年ほど療養した上で退職し、小さな部品工場のラインに並ぶようになったのですが、私はたまたま知らずにその工場へ行ってしまい、ほんとうにやりきれない姿を見てしまうことがありました。やり手で一番活躍できる年頃の人です。さぞかし悔しい思いをされたことでしょう。
 
 2021年から22年にかけて放送されたNHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」では深津絵里さんが主人公を演じた「るい編」で、夫で天才トランぺッターの大月錠一郎(オダギリ・ジョーさん)が突然、演奏ができなくなり、いつか病気を克服すると思っていたのに放送の最後まで治らないまま終わってしまいました、
 緊張やプレッシャーによって一時的に技能を失うこうした現象(または病気もしくは障害)はイップスというのだそうで、昨年、篠原涼子さんがイップスを題名とするドラマに主演し、突然アイデアの浮かばなくなったミステリー作家を演じましたが、それも広い意味でイップスにようです。
 
 かつてはスランプという言葉で総称されていたものの一部らしいのですが、どうやら《ちょっと調子が上がらない》といったレベルではなく、明らかに病気もしくは障害だと認められる現象がイップスで、最初プロ・ゴルファーの間で話題となり、やがて他のスポーツでも発見されるようなってきたようです。
 状況としては音楽家が楽器を演奏できなくなったり、美容師やトリマーがハサミを使えなくなったり、書家や画家が絵筆を握れなくなったりといったものも含められますが、小説家のアイデアが浮かばなくなったものまで含める話は、ドラマ以外ではとりあえずなさそうでした。
 生活の糧を得るための技能が失われるのは本当につらいでしょうね。


 ただ、極論を言えば、特別な技能を失いそのことで職業そのものを失っても、まだ絶望することはありません。「カムカム~」の大月錠一郎も、発症した後、一生トランペットに触れることはありませんでしたが何となくのらりくらりと生涯を送りました。それだって悪いことではありません。
 困るのは特殊な技能ではなく、生活そのものを支える技能を失うことです。私はこれについて、ひとつの寓話を覚えています。

【ムカデのジレンマ】


 それは「ムカデのジレンマ」というお話です。
「ある日カエルが歩いていると、向こうからムカデがこちらにやってきます。退屈だったカエルはそこでひとつからかってやろうと考え、こんなふうに声をかけます。
《ムカデくん、ムカデくん、キミはいったい何本もあるその足を、どんな順番で動かして歩いているんだい》
 するとムカデは考え込むような顔つきになり、そのあと急に歩けなくなってしまったのです。度の足をどんな順番で動かせばいいのか分からなくなってしまったのです。いくら考えても分からず、食べ物も取りに行けなくなって、やがてムカデは死んでしまったのです」
 なんともやりきれない、身も蓋もない物語です。
(この稿、続く)