植物の育つ時期が終わろうとしている。
畑も一部を除いて閉じて行く。
今年の夏は妙だった。しかしそれで実りが少なくても、
それは畑や作物のせいじゃない。
という話。
(写真:SuperT)
【畑じまい間近:今年の夏はいつもと違った】
あれほど暑かった夏が終わり、ようやく秋の気配が感じられるようになりました。とはいえ天気予報は「明日も最高気温は30度」などと平気で言ったりしますから油断はできません。「最高気温30度」は30年前なら国内の多くの地域で「今夏の最高気温」として記録された数値です。とんでもない時代が来たものです。その暑さのためもあって、今年の畑はいつもと様子の違うことがいくつかありました。
例えば私の地域では8月第一週を過ぎたあたりから蒔き始めるダイコンやキャベツが、暑さのために十分生育できず、そのうちに幼いままの葉に虫がついて、大部分がダメになったこと。あるいは「むしろこの暑さで上手く行くかもしれない」と考えて買ってきたキュウリとミニトマトの苗。暑かったのは良いのですがやはり暑すぎたのか、9月中はほとんど育たず、彼岸が過ぎてからグングン伸びてきたのに今度は寒さ、特に夜の寒さに委縮したのか、キュウリは小さいまま、トマトはきれいな赤になりません。
やはり作物は春から夏にかけての最適期に素直につくるのがよく、チャンスがありそうだと欲をかくのダメなのでしょうね。むろん合わない時期でもプロはいい作物をつくってしまい、そこに勝機を生み出します。しかし私のようなオットリ系の菜園ティストは、そのとき、その場所の、土や気候にあったものをつくっているしかありません。冒険をしても成果は少ない。
【家庭菜園の一部を紹介します】
タイトルの写真は昨日の私の菜園です。
手前の大きな葉はブロッコリで、普段は寒くなる前に収穫を見込めるのですが、今年は生育が遅れているみたいで、ダメならギャンブルで冬越しさせて春の収穫です。それで上手く行った年もあれば、ダメだった(冬枯れしてしまった)年もあります。
そのブロッコリの先にあるのが落花生。収穫にはまだ一カ月ほどかかります。葉が枯れてから実を掘り出すのですが、作るのにやさしく、食べるのに難い作物です。レンジで温めて乾燥させるのですが、採り立ての11月と冬の終わりの3月とでは中身の水分が違っていて、生焼けだたり黒こげだったり、なかなか上手く行きません。ようやくコツが呑み込めておいしく作れるようになるのが3月。だいたいそのころに段ボール箱が底をつきます。
ブロッコリと同じ畝、落花生の先で半分ていど枯れているのがミョウガ。今年は大豊作でした。そこから右に折れたところでふさふさしているのがアスパラガス。今年植えたばかりですが、アスパラガスは植えた年には食べられるような茎は出てきません。そこで放置したらこの有様です。
そこから再び折れ、畝伝いに戻ったところで棒をヤグラのように組んで、その間で育てているのがオクラ。今年はものすごくたくさん採れたのに、ちょっと目を離した隙に虫にやられてしまい、これもそろそろ終わりです。
オクラの手前(写真の右端の方)で青々と茂っているのがピーマン。4本あるうちの1本が、霜にやられたのか元気がありませんが、残りの3本からは今も毎日10個程度の実が取れます。今年はピーマンとナスがものすごくたくさんできました。秋ナスはめちゃくちゃおいしいです。
オクラ・ピーマンの畝の向こうにもさらに二畝あって、手前の畝にキャベツと白菜(オクラの足元から見えるのが白菜)。次の畝では半分にホウレンソウや小松菜、二十日ダイコンなどの葉物野菜。ピーマンの陰に隠れて見えませんが、残り半分がイチゴ畑です。
現在準備中なのがそのイチゴと、写真の中央に長々と横たわっているマルチ・シートで育てるタマネギです。月末になったら玉ねぎの苗を買いに行こうと思っていますが、イチゴの方は今夏、自分の家で育てた苗を使います。「育てた」と言っても放ったらかしておいたら勝手に育ったのです。
【畑は素直で、作物はウソをつかない】
さて、長々と畑の様子を書いて何を言いたかったのかというと、作物にはそれぞれ種を蒔いたり苗を植えたりする時期があり、行うべき手入れがあるという当たり前の話です。季節を誤らず、マニュアルをしっかり読んで丁寧に管理すれば、作物はかならず育つ――もちろん商品作物をたくさんつくってそれで生計を立てようというなら、やるべきことはいくらでもありますが、最低限の収穫でかまわないなら、素人は冒険をしてはいけません。
畑は素直で作物はウソをつかないのです。うまく行かないときはすべてこちらが悪い。今年、私がキュウリやミニトマトでうまく行かなかったのは、天候を見誤って欲をかいたからです。オクラが予定より早く終わりなったのも、虫が入っていることに気づかなかった私が悪いのであって、オクラが悪いわけでも、虫が悪いわけではありません。
「ああすればこうなる」と分かっていたのに、ああしなかったのは私です。
以上、これは恨み言ではありません。私が現在そうした単純な世界に生きていて、その安逸を楽しんでいる、という話をしたかったのです。私が心安くいられるのは、いつも正しいことができているからではありません。間違っていたり愚かだったりしても納得できるからです。悪いのは私の不勉強と注意不足。そう納得して反省すれば、次は同じ過ちをせずに済むでしょう。少なくとも前よりはマシになるはず。
しかし人間関係はそういうわけにはいきません。好きな相手から嫌われることだってあるのが人間社会です。こちらも動いていますがあちらも動いています。そうなると発生する事象は、可能性としては無限に近くなってしまうのです。
(この稿、続く)