カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「心の中の曖昧模糊を、外に取り出して“モノ化”する」~指導助言の質を高める方法⑥

 見えないはず心の中を“見える化”すれば、
 自ずと問題のちっぽけなことに気づかされる。
 ”モノ”のようになった不安や苦しみからは、
 問題のほんとうの深刻さも解決策も見えてくる

という話。(写真:フォトAC)

【正体が見えないから恐ろしい】

「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
 幽霊かと思って怯えていたが、実は単なる枯れたススキだった、という川柳です。不気味に明るい秋の月明りの下で、ユサユサと揺れるススキのさまが普通以上に恐ろしかったのでしょう。正体が枯れ尾花と知って恐怖がスーッと引いて行く様子がよく分かります。

 心の中にあるたいていの不安、恐怖、心配、苦しみは、実は実体よりははるかに大きく見えるのが普通です。どのくらい大きく膨らんでしまっているかというと――それが分からないから困るのです。2割増しだとか3割増しだとか分かっていればその分を差し引けばいいだけですが、押し潰されそうなほど大きな不安や恐怖は、急激に膨らんだり縮んだり、激しく形を変えて模糊としてとらえがたいから恐ろしい、そういう面があります。写真に撮ることができれば実体は見えてくるのですが、心の中のものを撮影することはできません。そこで言葉が重宝がられます。

【本の中に自分を発見する】

 心の中のできごとを文章にすることは、輪郭のはっきりしないものに明確な形を与えることです。私たちはしばしば読書をしながら、
「ああ、これが俺の言いたかったことだ」
とか、
「まるで自分の気持ちを表しているみたいじゃないか」
とか感じることがあります。
 自分の頭だか心だかの中にあってモヤモヤと今日まで表現できなかったこと、あるいは表現することすら思いつかなかったことがすっと縮んで形を成し、目で見えるようになる瞬間です。精神が浄化されたように感じ、時には抱えていた問題に答えが与えられることもあります。それこそが読書の醍醐味のひとつ、読書を行う意義のひとつです。
 ただしそんな素晴らしい経験はしょっちゅう起こるわけではありませんし、その時々でもっとも重要な課題に答えが与えられる訳でもありません。

【心の中の曖昧模糊を、外に取り出して“モノ化”する】

 認知療法は偶然に頼ることなく、意図的にそれを行おうとするものです。心に何らかの問題を抱える人々の不安や恐怖、心配・苦しみなどを文章にして、見つめ直そうとする試みです。いうまでもなく普通の生活をする人間が心の内を文章にするなど容易ではありませんから、専門家(精神科医や療法士)の手を借りて共同作業のようにしていくわけです。

 こうした《心の内にあるものを文章や絵によって表現し、検討可能な対象とすること》を“対象化”と言います。形のないものに形を与えることから “モノ化”ということもありますし、 “対象化”と漢字で書いて“モノカ”とルビを振ることもあります。認知療法ではさらにそれに「10点満点中の何点?」といった言い方で大きさまでも与えてしまいますから、形はさらにはっきりとしてきます。
 そうして検討可能な“モノ”となった不安・恐怖、心配や苦しみなどからは、実際に被る被害の大きさや影響や、対処の方法などが見えてきます。そうなると問題は問題でなくなる、少なくとも “大した問題”ではなくなります。そこが治療の終了地点です。
(この稿、次回終了)