8月が終わる

 やるせない8月が終わります。

 やるせないは「遣る瀬ない」と書き、進んでいくべき浅瀬がない、つまり川などの中ほどで途方に暮れている様を言います。

 いじめ問題に教員不祥事、これらが新聞に載らない日がないくらい。同じ教員の許しがたい犯罪、致命的なミス。いくら対応しても、いくら対応しても、いくら対応しても終わることがない。しかし私のやるせなさはそうした徒労感・空しさとはちょっと違っているような気がします。

 調べてみますと不祥事の中心は40代から50代、十分に分別があり妻子があり、失ってはならない財産もキャリアもある人たちです。そしてこの人たちは必ずしも教員の世界で日蔭者というわけではなく、かえって実力を認められ、生徒や保護者からの評判も良かったりする人たちなのです。なぜそんな人たちが、子どもでもしないようなつまらない犯罪に手を染め、教職から去って行くのでしょう。なぜそんな気になったのでしょう。なぜバレないと思えたりしたのでしょう。

 もうこれは病気だとしか思えない・・・、そう考えてふと立ち止まったのは全国で9000人にもなろうとする病気休職者たちのことを思い出したからです。そのうち60%ほどが心の病気による休職です。20年前に1000人程度しかいなかった心の病気による休職者は、2006年に5000人の大台を越え、それからずっと5000人台後半を維持しています。毎年これだけの同僚が苦しみに苦しみを重ねた挙句、私たちの周囲から消えているのです。

 繰り返される教員不祥事も、もしかしたらどこかで繋がっているのかもしれません。一種の社会的自殺です。心のバランスがめちゃくちゃなのです。

 教員の心の病気の原因について、よく多忙感が挙げられます。しかし忙しいのは今も昔も同じです。教員は時間が余ればその分を教材研究(行事の計画を含む)で埋めてしまいますから、忙しさは変わりないのです。変わりようがありません。しかし教員の置かれている状況は確実に変わりました。

 総合的な学習、生活科、小学校英語。学校で教える内容は“ゆとり教育”の時代にさえも増え続けました。不登校もいじめもここ二十数年の指導内容で、それ以前はほとんど問題にはなりませんでした。学校に求められるものは飛躍的に多くなり、教師に要求される倫理も非常に高くなっています。かつては体罰や罵声によって解決していたものが、丁寧な言葉の指導に替えられました。授業の質もずっと高くなっています。そして教師は追い詰められています。たぶんこの傾向は将来も変わりません。

 次々と社会的自殺に追い込まれる教員たち、そのイメージが私のやるせなさは、たぶんそこからきています。