カイト・カフェ

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「あれ? オレ、もうすぐ死ぬのか?」~かくも厄介な人生の終末① 

 ついこの間のように思っていた「ルージュの伝言」は、半世紀も前の曲。
 長生きの大きな目標だった80歳は目の前。
 しかも老人の未来は若者の未来より混沌としている。
 ちょっと焦り始めた。

という話。(写真:フォトAC)

【時間の感覚がすっかり変になっている】 

 昨日、
「昔、松任谷由実さんがヒットさせた歌に『ルージュの伝言』というのがありました」
と書いて歌詞の一節を引用しました。深く考えてのことではありません。
 ところが今日になって、
「アレ? この曲、みんな知っているのかな?」
と急に不安になりました。何の説明もなくポンと投げ込んでもいい話だったのか? 私にとって昨日のヒット曲みたいなものですが、古いと言えば古いじゃないか。 
 そこで調べると「ルージュの伝言」は1975年のヒット曲、なんと47年――半世紀も前の曲なのです。

 私はこういう時、時間軸をずらして時代感覚を得ようとします。例えば現在の高校生にとって「ルージュの伝言」がどれくらい昔かということを、自分が高校生だったころの47年前を調べることで実感しようとするのです。すると私が高校生だった1970年前後の47年前は1923年あたり、つまり大正12年前後だと分かります。
 大正12年!! 
 11年前に亡くなった私の父が生れた年で、まもなく95歳になる母は生まれる予兆すらなかった時代、関東大震災の年、前年暮にはソビエト連邦が成立し、翌年には第二次護憲運動の起こったころ――。

ルージュの伝言」って、いまの高校生にとってはそんなに大昔の曲なのか! と私は絶句します。

【あれ? オレ、もうすぐ死ぬのか?】

 ある意味で、時間の感覚がメチャクチャになっています。
 古いことは片っぱし「昨日のことのよう」なのに、未来は相変わらずはるか遠くです。そんなことありませんよね。15歳の少年の未来はほとんど永遠のようなものですが、老人の未来には限界があります。それも目の前に。

 私が40代の前半で大病をしたとき、
「今、これで死ぬのも仕方ないが、万が一乗り越えたら80歳までは生きたいものだ」
と思いました。その時の父が73歳でかなり元気でしたから、たぶん長生きはできないだろうが、それでもその時の父は越えたかったのです。80歳は過分な望みで難しいかもしれないが、目標としてはいい数字とも思えました。
 そこで私は、当時手に入れたばかりのメールアドレスに80の数字を入れ、いまもメインで使用しています。

 ところが目標の80歳は目の前、あとわずか11年しかないのです。しかもその11年の長さが感覚的に分からない。

 

【若い頃よりさらに分からない未来】

 十二支が1周回り切らないとか、オリンピックが最大3回しか見られないとか、11年後は孫1号が高校生で2号は受験に向かっているとか、いろいろ思い浮かべるのですがピンとこない。
 同じ80歳でもヨボヨボの老人もいれば、年代別のスポーツ大会で次々と記録を打ち立てる人もいますから、自分がどんな姿で80歳を迎えているのかも想像できない。

 ついこの間まで、
「今が幸せの絶頂かもしれないからすぐに死んでもかまわないが、中国と北朝鮮の行く末を見届けられないのはちょっと悔しいかな」
くらいに思っていたのが、2年を越えるコロナ禍とウクライナ戦争のおかげで世界はすっかり変わってしまい、未練の対象が一気に広がりました。これも困ったものです。

 そして急に切実になってきたのが終活の問題です。まだ先でいいと思っていたのですが、あと11年だと間に合わないものも出てきます。

(この稿、続く)