カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私が思い出したあるいじめ事件の話」~困った子、困っている子の話②

 孫2号の不機嫌のベースには、
 昼寝をしなかったことによる寝不足がある。
 と、そのとき思い出したのは、遠い昔のいじめ事件。
 あの時のあの子も、ほんとうは眠かったのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

【原因は睡魔という不条理】

 昨日、娘や孫と外食に出た際、自動車内の座席が思った通りじゃないと孫2号のイーツが怒り出し、何をやってもダメだったというお話をしました。
 少し高級な回転寿司屋に行ったのですが、そこでもご機嫌は斜めで、運ばれてきた直送レーンの返却ボタンを押しそこなったと怒り、注文の際にタブレットの「サビ抜きボタン」を押し忘れて(自分でやった)食べられない寿司が来たといっては拗ね、せっかくの私の外食は「ヤレヤレ」といった感じになってしまいます。
 母親のシーナはそれでも強く叱りもせず、なにやかやとその場をやり過ごそうとします。そういう親ではないと思っていたのでシーナの甘い対応には少し驚きましたが、毎日毎時間この調子では叱り切るのも難しいのかもしれません。怒るたびに大泣きされても困ります。
 
 さて、そうこうするうちにまた何か勝手が違ったようで大泣きを始めたので、シーナはイーツを抱きよせて、
「ホラ、やっぱお昼寝しないとダメじゃん」
 そう言えば正月に来た時はまだお昼寝の習慣があって、私が寝かせつけていたのです。それが今回はありません。
「そう言えば、昼寝しなかったな」
「電車の中で少し寝ちゃったから無理だと思ってさせなかったの。そもそも最近は、ウチでは眠らなくなってる」
 保育園ではみんなと一緒なので内弁慶のイーツは“良い子でお昼寝”をしているらしいのですが、休日の自宅ではほとんどしなくなっているというのです。おかげで夜は早い。
 たっぷり寿司を食べて帰路に就くと、車内では秒殺といった感じでイーツは眠りに落ちました。

 思い出してみると夕方以降とそれ以前とでは、難しいといってもその様子に決定的な違いがありました。日中の方がまだかなり制御しやすかったし、物わかりの良い面もあたのです。
 それが3時過ぎころからどんどん調子が悪くなっていって、やがて手の施しようがなくなる、なだめてもなかなか治まらない、怒りの原因を除去しても怒り本体はなくならない、イーツ自身にも対応策がない、何がいけないのか本人も分からない――。
 
 その原因が車内の座席の位置でも、寿司の直送レーンのボタンを兄に押されたことでも、さび抜きを忘れたことでもなく、単に眠かったということ。しかも「じゃあしばらく眠るか」と言えば睡眠不足の自覚がないのでおそらく眠らず、状況が改善される余地もない(ただし車に乗せて走り出せば眠る)。
 私はそこで、昔、関わったことのある、小学校6年生の女の子のことを思い出したのです。

【あるいじめ事件の話(思い出したもうひとつのこと)】

 20年近くも前のことですが、私が新たに赴任した小学校は重大ないじめ問題を抱えていました。そのため4月当初の授業参観は全クラスが人権教育、目の前に全国学力学習状況調査という未経験の(その年が第一回だった)重要案件があったにもかかわらず、全校一斉の人権講話というのも実施され、学校はさながら「人権教育」=「いじめ対策」の花盛りみたいでした。事情の分からない新任の私たちは目を白黒させるばかり。

 何があったのかというと、前の年の秋、5年生の一クラスで幅を利かせていた8名ほどの女子グループのナンバー2が、トップに疎まれて、仲間からはじき出されたのです。トップの女の子に言わせると、
「私はただあの子が嫌いになっただけ。そうしたら他の子もみんなあの子が嫌いになった、ただそれだけ。嫌いな人と仲よく遊べというのが最初からムリ」
ということですが、ちょっと腰骨の曲がったような女の子の集団では、トップのやり方が無言の圧力となって下々にまで徹底されるのは、よくあることです。しかし人間関係なんて集合離散が常。集団から弾かれたら別の集団に行くか、しばらく孤立したままで時を過ごし状況が変わるのを待つとか、対応の仕方はいくらでもあります。それなのに弾かれた子は最後まで8人に、しかもナンバー2にこだわり続けたようです。
 仲間外れにされた、話しかけても無視される、睨まれた、笑われた、遠くでひそひそ話で私の悪口を言っている、授業中に隣の席でわざとものを落として音を立てる、もう怖くて学校にもいけない――。
 その声は市教委を飛び越えて県教委にまで届き、地元選出の市会議員にも伝えられました。関わる大人が一気に増えて、私が赴任した4月には、県の指導でさまざまな対策が打たれるとともに、市会議員も交えて善後策を練らなくてはならないような大事件になっていたのです。

【学校は人が大勢いるからいいのに――】

 少し話はずれますが、現在進行中の35人学級制度、それでも人数が多すぎるので将来は30人以下にすべきだといった話があります。
 しかし30人以下学級制度というのは31人になったら自動的に2クラスにする、つまり15人と16人の2学級をつくるというものです。15人と16人はまだ許容できる人数ですが、男女別に考えると必ずしも男女8人と7人、もしくは男女8人ずつになるとは限りません。
 私は僻地の学校で単級(1学年1クラス)14人というクラスを受け持ったことがありますが、そのときの男女比は11対3。女の子が3人しかいないクラスはほんとうにたいへんでした。どんなに気が合わなくてもいつも3人で行動しないといけない、油断すると誰かが2対1の仲間外れみたいな感じになってしまうので非常に苦しいのです。1年間ずっと無理をして仲の良いふりをし続けたのですが、翌年一人転入してきたら、いつでも2対2に分離できるようになって精神的に安定しました。
 人数が少なくて楽になるのは学級担任だけであって、児童生徒の立場からすると少なすぎる方がむしろ苦しいのです。人間関係の逃げ場がないというのが一番ですが、悪さをすればすぐにすぐに見つかるし、授業中の指名もれやすい。体育では跳び箱や走り幅跳びでスタートラインに戻るともう試技の順番が来ているなど、休む暇がない等々。
閑話休題

【実は眠かったのかもしれない】

 教室に入れないからといって別室が用意できるわけでもありませんし、教委が特別に教員を一人配当してくれるともありません。だからと言っていつまでも家に置いておくわけにもいかないので、養護教諭に頼み込んでしばらく保健室で過ごすことにしました。しかしとにかく相手は7人もいるのでケガをしても具合が悪くても保健室に行くなとは言えず、次は特別支援学級の片隅を借りて学年の職員が代わる代わる様子を見に行くようにしたのですが、それでも隙を見て7人のうちの誰かがドアをどんと叩いたとか、廊下で大きな咳ばらいをしたとか・・・、教師たちは7人組のトップはもちろん残る6人もグイグイ締め上げたり宥めたりしていますから、そんな威嚇するようなことはできないはずなのに、それでも被害の訴えはやまない――。
 手の打ちようがなくなって困っているところに、市会議員の絡んだ転校話が持ち上がり、特例として可能になった転校のその朝、突然、「転校はしない」と言い出して「元のクラスで頑張る(だから中の人間関係を元に戻して)」みたいな話になります。
 ある年配の女性教師はこんなふうに呟きました。
「7人組のリーダーは仲間の鼻づらを掴んで引きずり回し、あの子は大人の鼻面を掴んで引き回す。似たようなものだね」
 私もそう思いました、そのときは。しかし今はこんなふうにも思うのです。
「あの子、結局、孫のイーツと同じように、お昼寝が足りなかったのかもしれないな――」
(この稿、続く)