カイト・カフェ

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「大雪が降って露わになる人間関係と現代の家柄」~それぞれの家のそれぞれの雪かき

 田舎と言っても、必ずしも近所づきあいが深いわけではない。
 特に昭和以降の新興住宅街の雰囲気は、都会と同じだ。
 面倒を理由に日ごろの付き合いを疎かにして――、
 しかしだから、いざというときには困る。
という話。(写真:フォトAC)

【向こう三軒両隣】

 「向こう三軒両隣」と言いますが、わたしの家は丁字路の「丁」の右脇の下みたいなところにあって、建物は左方向を向いています。つまり「向こう三軒両隣」のうち右前と右隣は道路になっていて、気にかけなければならないお宅は残りの3軒だけということになります。
 ところが町内会の隣組としては、「丁」の二画目が境となっていて、お向かい二軒とは別の班で、目の前の家だというのに班が違うと住む人の家族構成も内情も全く分からなくなってしまいます。
 
 田舎といっても40年前の新興住宅地で、この地で生まれ育ったわけではないので互いに何となく気恥ずかしく、子育ての時期でも重なっていればPTAを通じて仲良くなる機会もあったでしょうに結局そういうことはなく、よそよそしいまま来てしまいました。その点で都会とほとんど変わるところはないとも言えます。
 それで困るのが今回のような大雪です。雪かきがうまく割り振れない――。

【日ごろ付き合いのないくせに】

 日ごろ何のつき合いもないのに、何か問題が発生して話し合いなり協力なりしなくてはならない気まずさ、面倒くささ――それを考えれば日ごろからもっと話をするなり、おすそ分けするなりしておけばよかったと、そうも思うのですが、この場所に暮らした30年間のうちの最初の20年間は私たちも夫婦で朝から晩まで働いていて、近所に顔を出すなどして親しく会話する機会もなったのです。
 それはおそらくあちらも同じです。
 
 二軒のうちのお向かいAは、私たちより二世代くらい若い家族とそのお祖母ちゃんらしい女性との組み合わせですが、そのお祖母ちゃんですらどこかに働に出ている様子で、日中、家にいることはありません。したがって現在も、なかなか顔を合わせることがないのです。
 お向かいBは父子家庭。と言っても父親は90歳前後で大きく腰の曲がったお爺ちゃんで、独身の息子ももう60歳前後です。母親は5年ほど前に急な病気で亡くなっています。男所帯というのは世間に対して間口が極端に狭いもので、とりあえず会うことがない。そうなると今後も仲良くなる機会はなさそうです。

【現代の家柄】

 人の品格や性質のことを「人柄」というように、家庭にも独自の品格や性質があります。私はそれを「現代の家柄」と呼んで、娘や息子には子どものころから「(現代の)家柄」のいいお宅の子と結婚しなさいと言い含めてきました。望んだ以上にその通りになったと思っています。
 さらに、「こちらが望む以上、私たちも(現代の)家柄のいい家と呼ばれるように努力しなくてはならない」と思っています。
 だから雪が降ると、率先して雪かきに出ます。
 
 一昨日のように週日の雪だと、とりあえず日中雪かきに出られるのは私だけです。お向かいBのお爺ちゃんも家にいますが、とてもではありませんが雪かきに出てこいとは言えません。お隣もいますが、こちらもお年寄りですので出てきません。そこで一番若い私(と言っても古希)が1時間以上かけて4m幅の道路を20mほどかき、それから自宅駐車場と勝手口の雪かきもします。
 雪が多い時は夕方もう一度かいて、夜寝る前に三回目をかきます。その夕方から夜、あるいは翌朝早く、お向かいA・Bが雪を(かくときは)かきます――というのは、しないときはしないという意味です。雪かきに出てくるときとこないときの基準はいまだによく分かりません。

【それぞれの家のそれぞれの雪かき】

 それぞれの家の雪かきのしかたも特徴的で、私は道路をたてに割った三分の二を陽当たりの良い私の家の方へ、残りの三分の一を(申し訳ないが)日陰のお向かいさん側に運ぶのですが、お向かいAは稀に雪かきをしてもきっちり自宅側半分をやって、のこり(私の家側)を残しておいてくれます。あとは自分でやれ、という意味でしょう。
 父子家庭のお向かいBは、半分しかやらないということはありませんが、かいた雪はすべて私の家側に運んできます。陽当たりがよくて溶けやすいからだと思うのですが、少し気持ちにひっかかるところがあります。自分の家側は飛び抜けてきれいだからです。

 ほんとうは声をかけあって一斉に雪かきをする習慣でもあればいいのですが、こんな調子でいつも腹を探り合いながら、しかし何もしないで除雪車の来るのを待つこともできない(というのはまったく来ないときもあるから)ので、しかたなく出ていくのです。