カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「昭和の風景」②

 私が生まれ育ったのは地方都市の郊外、一級河川の堤防下に作られた、市営住宅の一軒でした。
 コンクリートブロックモルタル造りといい、ブロックを積み上げた建物にセメントを吹き付けただけの簡単なもので、二軒が繋がって一棟になっていていました。中は6畳に4畳半、3畳分の台所とトイレ、玄関があるだけです。
 ひとつの区画に同じ形式の建物が5棟10軒、そしてそれとは形式の違う木造の住宅が5軒ほどあったので、全部で15軒あまりの市営住宅と言うことになります。新設で一斉入居でしたので世帯主の年齢層がほぼ同じで、数年後はベビーラッシュになります。つまり子ども時代の私の周辺に、はうじゃうじゃ似たような子がたくさんいたのです。
ドラえもん」もそうですし映画「Always三丁目の夕日」などでも出てきますが、子どもが大勢いると自然に地域子ども社会が形成され、そこにヒエラルヒーが誕生します。私は最上位のひとりで、「ドラえもん」のジャイアンのみたいなケンちゃんの、腰巾着のような位置にいました。つまりスネ夫です。

 今、思うとそれはほんとうに豊かな世界でした。
 ケンちゃんはワガママでしたから月光仮面ごっこをやっても隠密剣士ごっこをやってもいつも主役を持って行ってしまい、私は常に「悪モン(悪者)」です。困ったことに悪モンは銃で撃たれたり棒で切られたりすると死んでいなくてはなりません。悪モンが全部死んでしまうと「いいモン(いい者=正義の味方)が孤立し「ごっこ遊び」は終わってしまいますから、10秒数えて生き返らなくてはなりません。死体が大声で「い〜ち、に〜」とやるわけです。
 殺されては生き返り、生き返っては殺さる、その永遠の繰り返しです。

 しかし戦いごっこはまだいい方で困るのは「おままごと」です。女の子もけっこういましたから「おままごと」もしょっちゅうだったのですが、ワガママ・ケンちゃんは赤ちゃんの役、私はお父さんの役と相場が決まっているのです。
 お父さんがなぜ困るのかというと、朝の一連の活動が終わると「お父さん」は会社に行かなくてはなりません。みんなに元気よく「行ってらっしゃ〜い」とか言われて送り出されるのですが、「おままごと」では行くところがないのです。まるで会社をリストラされたのに家族に言えなくて毎朝出勤のふりをして家をでる無職男みたいなものです。
 「おままごと」の家を出された私は、しばらくどこかで時間を潰す羽目になります。今度は十数えれば家に帰れるというものではありません。遊びの仲間から外されるのと同じですからほんとうにつまらなかった。しかも時間を読み間違えて早く“帰宅”したりするとワガママ・ケンちゃんはすぐに怒りますから帰れないのです。

 私はケンちゃんの見えないところから様子をうかがっていましたが、“赤ちゃん”とは名ばかりで、ワガママを言いながらお母さん役やお姉さん役の女の子を侍らせる、ハーレムの王様みたいなことをやっているわけですから楽しくないはずがないのです。

(この稿、続く)