昨日はあんなにウキウキしていたのに、
今日はこんなにどんよりと重い。
年寄りの感情の振れ幅も案外大きなものだ。
それもすべてあの男のせいだ。
という話。(写真:フォトAC)
【2024アメリカ大統領選挙】
アメリカ大統領選挙の共和党候補指名争いの第2戦は、23日に投開票が行われた東部ニューハンプシャー州予備選で、またしてもドナルド・トランプが勝利したようです。
かつて(2000年)共和党のジョージ・ブッシュ候補が民主党のゴア候補を史上稀に見る接戦の末に破った際、選挙戦を総括したアナリストが、
「実際問題として、毎朝テレビニュースをつけるたびに顔を見なきゃならないとしたら、面白ブッシュと退屈ゴアと、どっちがいと思うんだい?」
と語ったのを印象深く覚えています。世界をリードするアメリカの大統領が、そんな基準で決められたのではかなわないと思ったのです。
確かに、ニュース番組をバラエティー・ショーと同じ感覚で眺める人にとっては、ゴアよりも何をしでかすか分からないジョージ・ブッシュの方が面白いに違いありません。なにしろ愛読書は「はらぺこ青虫」だと言ってみたり「IAEA(国際原子力機関)」と「EIEIO(イーアイ・イーアイ・オー)」の区別がついていないのではないか思わせたりする人でしたから、「不都合な真実」みたいなことを大上段に振りかざしていうゴアよりは、ずっと面白そうです。
同様に今回2024選挙も、ジョー・バイデンではいかにもつまらない、ニッキー・ヘイリーはありふれた美人で司会者どまり、ドナルド・トランプこそ面白キャラ、ということになるのかもしれません。
【岸田文雄と三原じゅん子とビートたけしで選挙をやれば】
アメリカ人がアホという話ではありません。日本でも東京都知事が青島幸雄で大阪府知事が横山ノックという時代がありました。顔も実績も知らない政治家より、コメディアンや放送作家の方が面白そうな気もします。ほんとうに何かやってくれるかもしれません。
アメリカ大統領選挙も、日本に当てはめれば岸田文雄と三原じゅん子とビートたけしが争うような話。私は嫌ですが、ビートたけしを選ぶ人の少なくないことは理解できます。
その私にしても、国の代表者がトランプやたけしではかなわんというのは多分に印象の問題で、厳密に政治家の手腕や魅力を考えてのことではありません。ひとことで言えば今年の大統領選挙でトランプが勝ったら、来年からほぼ毎日4年間、あのペテン師でいかがわしい男の顔を見なくてはならない、それが憂鬱なのです。
【《正義》はもはや虚構なのか?】
世の中には正義が立たなくてはならないと、私は大真面目に思っています。正しいものが勝ち、悪は滅びる――。もちろん《正義》には山ほどの種類があって、しばしば《悪》が《正義》の仮面を被って現れることがあります。しかし表立って悪がのうのうとのさばってはならないのです。
かつてのアメリカは「正義のためにやせ我慢をする国」でした。私は大学の先生からアメリカ人との論争について、
《ああ、なんか押し込まれているな、このままだと負けてしまいそうだな》
と思ったら、
「ちょっと待て、フェアじゃないじゃないか("Wait a moment, that's not fair, is it?")」
と言え、と教えられたことがあります。そう言うとアメリカ人は条件反射的に止まってくれるのだそうです。そして考えてくれる。その間に作戦を練り直すといいのだそうです。
結局はでっち上げでしたが、アメリカ政府はイラクに攻め込むときも「フセイン大統領は大量破壊兵器を隠し持っている」という話をアメリカ国民や同盟国に信じさせるために、ずいぶんと時間をかけました。
「1941年12月にアメリカ政府は真珠湾が攻撃されると知りながら、“リメンバー・パール・ハーバー”を演出するためにわざと見逃した」
といまだに疑われるのも、「合衆国は常に正義の側に立つ」という擬制を守る姿勢があったからです。
ところがトランプ党は「それは違う」というのです。それは政治的な理由から生み出された粉飾された正義(ポリティカル・コレクトネス)で、真実ではないというのです。
【トランプ・シャッフル】
私は中学校教諭を10年やってから小学校に異動したのですが、一番困ったのは生徒指導(生活指導)でした。小学生に遠慮とか忖度とか、粉飾とか虚飾とかがまったくないからです。
「オマエ、どうしてあの子のことイジメたの?」
と中学生に聞けば、ウソにしろ何にしろ、いずれにしてももっともらしい理由をつけて、何とか自分を正当化しようとします。そこに教師として付け入るスキが見えてきます。ところが小学生の4年生以下くらいまでは、まるっきり身も蓋もない――。
「オマエ、どうしてあの子のことイジメたの?」
「だってキライなんだモン」
これでは追及しようがありません。
「自分が勝ったら選挙結果を受け入れるが、負けたら認めない」
と平気で言い放つドナルド・トランプとまったく同じです。
思ったことを思った通り言うことが《正直》であり、《正直》こそ《正義》だとなると、あとは力づくにならざるを得ません。妥協の余地がないですから。
2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件はその典型で、子どものもっとも単純ないじめ事件と何ら変わるところのないものです。
トランプは再び世界をかき混ぜ(シャッフル)ようとしています。かなわないことです。