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「ガザ:私たちにできること、子どもたちにできること」~パレスチナのガザで起こっていることを子どもたちにどう説明するのか

 いまパレスチナのガザで起こっていることを
 子どもたちにどう説明するのか。
 直接的には何もできない私たちや子どもたちに、
 いまできることは何なのか。
という話。(写真:フォトAC)

【教師はガザを、子どもたちにどのように話すのか】

 現在パレスチナのガザで起こっていることについて、学校の先生たちはどの程度、生徒たちに話しているでしょうか? もちろん学習指導要領上どうしても扱わなくてはならない内容ではあませんが、中学校の社会科の先生は何も触れずに行きすぎるのは難しいでしょう。社会科でなくても、「特別な教科道徳」や「総合的な学習の時間」の学習内容には国際理解も含まれていますから、学級担任の先生には、話す機会があるとも言えます。
 私は中学校の社会科教師が教員としての始まりでしたから時事問題には触れざるを得ず、場合によっては1時間まるまるを現在進行形の問題について費やしたこともあります。テレビニュースで毎日流されている最新の問題ですから、子どもたちの関心も高く、記憶にも定着しやすい話だったと思います。
 ただ、パレスチナ問題は中東2000年に渡る根深い問題ですから、どう扱っても公平さを失いそうで、その意味ではとても扱いずらい教材です。したがって白黒を明らかにして本格的な解決策を探るというふうではなく、
《世界には抜き差しならない問題があって、私たち人類の英知をもってしても現状ではにっちもさっちもいかないことがある、しかしいつか、私たちが協力して知恵を集め、何とかしていこう》
という態度で接していくしかないように思うのです。

【そもそも何が問題なのか】

 パレスチナを考える上で、予備知識としてどうしても持っていなくてはならないのは、エルサレムの問題です。困ったことにこの街にはユダヤ教の「嘆きの壁」とイスラム教の「岩のドーム」、そしてキリスト教の「聖墳墓協会」という三つの聖地が、わずか500メートル圏の中に隣接しているのです。
 実を言うと、これら三つの宗教は元をたどれば同根の、唯一の神を信じる宗教なのです。信じる「神」が同じで「聖書(旧約)」も同じですから、「聖地」が重なってしまうのは当然の成り行きといえます。三つの勢力がそれぞれエルサレムを自分のものとしたいと考えるのは、これも仕方ないことでしょう。

 もちろん「みんなで仲良く聖地を守り合えばいい」という考え方だってあります。ところが現実にはさまざまに厄介なことがあって、なかなかうまくいきません。そのひとつは“安息日”です。
 戒律によってイスラム教は金曜日、ユダヤ教は土曜日が安息日と決まっていて、キリスト教は日曜日が礼拝日ですから日曜日を休みにしなくてはなりません。そうなるとキリスト教徒がエルサレムを支配すれば役所は日曜休みにせざるを得ず、土曜に休まなくてはならないユダヤ教徒と金曜日に休まなくてはならないイスラム教徒は公務員になれないのです。役所がキリスト教徒ばかりになれば、とうぜんキリスト教徒に都合の良い政策が優先します。宗教同士がすぐに“不倶戴天の敵”みたいになってしまうのは、そんな具体的で現実的な、小さな部分からなのかもしれません。

【虐げられた人々】

 現在ガザ地区で起こっている問題は、しかし三つ巴の宗教問題とは一線を画したところにあります。

 いきなり時間を2000年近くも戻して、イエス・キリストの生きた時代の中東、地中海の東地域に移りますが、当時そのあたりは古代ローマ帝国支配下にあって、ユダヤ教徒たちの自治は厳しく制限されていました。
 ローマから送られてきた総督に対してはたびたび反乱が企てられ、イエスも一時期は反乱の旗手と誤解されたりしましたが、結局紀元66年のユダヤ戦争に敗北し、132年の反乱にも失敗して、以来ユダヤ教を信じる人々(ユダヤ人)たちは世界中に散っておよそ2000年間、各地で迫害を受け続けたのです。
 彼らはイエス・キリストを殺した民族です。また土地を追われても生活ができるよう商業や金融業に従事する者が多く、いざというときに備えて蓄財にも熱心だったところから、強欲、ケチ、閉鎖的といったイメージがどうしても付きまといます。
 シェークスピアの「ベニスの商人」に出てくるシャイロックがその代表ですし、イギリスのロスチャイルド家のように超のつく金持ち一家もユダヤ民族の中から生まれます。迫害の様子はミュージカル「屋根の上のバイオリン」などでも繰り返し扱われ、その最大・最悪なものがナチスドイツによるホロコーストであることは論を待ちません。世界で最も虐げられた人々です。
 ただし聖書によれば、ユダヤ人は神に選ばれた民族であり、迫害を受けてもやがて自らの国を持ち、世界に君臨するだろうと言われ、彼らはそれを信じていました。そして20世紀の初頭、その機会が訪れます。

イスラエルの建国とパレスチナ紛争】

 19世紀以降、ユダヤ人の間では、「旧約聖書で神に約束されたパレスチナの土地に、ユダヤ人国家を建国しよう」というシオニスト運動が盛んになってきます。しかし実際のパレスチナの地には、すでに1000年以上にわたってアラブ人(のちにパレスチナ人と呼ばれる人たち)が住んでいて、容易に建国できる状況にありませんでした。

 問題をさらに複雑にしたのは、第一次世界大戦中にユダヤ人・アラブ人両者の協力を必要としたイギリスでした。ユダヤ系財閥のロスチャイルド家から戦費を引き出したいイギリス政府は、パレスチナでのユダヤ人国家建設を約束する一方で、当時オスマントルコ帝国の支配下にあったアラブ人に対してもパレスチナでの独立を約束したのです(このとき暗躍したイギリスの諜報員が有名な「アラビアのロレンス」です)。
 その結果、第一次世界大戦が終わると同時に、世界各国のユダヤ人はパレスチナへの入植を進め、アラブ人との対立は激しくなっていったのです。
 
 第二次世界大戦が終わると、壮絶な迫害を受けたユダヤ人たちは同情的な国際世論を背景に、ユダヤの人々イスラエルを建国しました。1948年のことです。しかしただちにアラブ人が反発し、第1次中東戦争が勃発します。この戦争で難民となったアラブ人たちが、現在パレスチナ人と呼ばれる人たちです。
 そののち長い紛争の末、1993年にパレスチナ暫定自治協定、1995年にはパレスチナ自治拡大協定が調印され、パレスチナ問題は和平に向かっていくかにみえました。一応パレスチナ人の暫定政府ができたわけですが、すぐにエサレムの帰属問題など様々な案件が暗礁に乗り上げ、再び武力衝突がおこるなど、長く緊張関係が続いてきました。
 
 現在のパレスチナ人にはイスラエルを挟んだ「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」の二つに分かれたパレスチナ自治区に暮らしています。ただしヨルダン川西岸が「パレスチナ自治政府」の支配下にあるのに対してガザ地区を支配しているのが、今回(に限って言えば)先に手を出したハマスと呼ばれる組織です。ハマスの目指すところは不明ですが、ヨルダン川西岸でジワジワと占領地域を増やし続けるイスラエル政府への激しい反発があったのは事実でしょう。

【私たちにできること、子どもたちにできること】

 さて、パレスチナについて、ようやく現状まで話し終えました。
 背景に宗教的対立はあるとは言え、根本は経済問題です。パレスチナ人には一貫して貧困が押し付けられてきました。また70年以上に渡って親兄弟を殺し殺されてきた歴史を振り返ると、両者の融合など夢のまた夢のような気もします。

 学校の子どもたちに想像させてみてください。キミたちに貧しさを押し付け、親兄弟・親戚の誰かを殺した相手と、微笑んで手を握れますか? と。現在のパレスチナに住む人々、ユダヤ人もアラブ人もともに首を縦に振る要素はまったくありません。
 ただし希望がまったくないわけではありません。人間はしばしば信じられないほど愚かですが、ときに敵同士、知恵を共有してどこかに解決策を見出すことも少なくなかったからです。

 すでにガザでは1万人以上が亡くなり、そのうち半数近くが18歳未満の子どもだそうです。もともとの人口比がそれくらいですので、子どもの死者が増えるのは仕方ないのです。日本の子どもたちはそれを見てどう感じるのでしょう?
 今の日本の子どもたちにできることはほとんどありません。しかし見て覚えておくことはできます。
 見て覚えておいて、そしていつの日にか力を持ったとき、貧困や戦火にさらされる子どもたちを助ける人になればいい。
 それだけのことです。