始まりは2年前の12月。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師がいると聞き、取材に向かった。田中雅博さん(当時69)。医師として、僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」だ。これまで千人以上を看取った田中さんの「究極の理想の死」を記録しようと始めた撮影。しかし、次々と想定外の出来事が…。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの最期、450日の記録。
この件について書いています。
【人が死ぬとき】
6年前に父が死んだとき、母がいつまでもこだわったのは、 「最期のとき『ありがとう』の一言もなかった。ほんとのところ結婚相手が私でなかった方が良かったのかもしれない」
後半の言葉は“ひとこと余計”の類ですが、前半については理解できないわけでもありません。多くのテレビドラマでは最期のとき、人生で一番大切な一言を言って首をガクッと垂れることになっています。
けれど私自身、死ぬ瞬間を考えると、そのタイミングは難しい。
あまり早く言いすぎてそれから何日も生きいるのもカッコウ悪いし、そうかといっていつまでも取っておくと言いそびれたまま終わってしまう。
実際きちんと言ってガクッなんてことはあるのでしょうか?
そう思っていたらあるサイトにこんな記述がありました。
多くのガン患者の、ガンの種類にもよりますが、数週間の間にガタガタガタと容態が悪くなり、一日ぐらいかけて死んでゆきます。一日ぐらいかけて死んでゆくと言うことをあなたに知ってもらいたいのです。
急に「バタリ」と死ぬことはほとんどありません。テレビドラマのようにバタリの死ぬことはない。
本当に意識がないのは1日ぐらいです。
意識があり「いつお迎えがくるの?」と考えることができるのであれば、明日死ぬことはあっても、一時間後に死んでいることはないと言うことです。
理解できる話です。父もまったくそのようでした。そんな状態で「ありがとう。幸せだった」というのはやはりかなり困難と言えます。
【田中家の場合】
田中住職の奥さんの貞雅(ていが)さんが言う、 「『よくここまで離婚しないできたね』と夫婦の最期の会話はしたいけど、ないです」
それは私の母と同じこだわりです。
ただ貞雅さんについては特別な事情があって、この病院ではほとんどの場合、患者本人が「蘇生措置を拒否するか(DNR)」「最期のとき、苦痛を抑えるために麻酔薬で意識を低下させ、そのまま眠らせるか(持続的鎮静)」を選択しています。つまり「苦しいのでこのまま眠らせてください」と言えば麻酔薬を点滴し始める、その直前まで、様々な想いや思い出を家族と語りあうことができるのです。
番組の中で貞雅さんの言う「ここ(病院)で見送った人たちはみんなちゃんと話せたんですよ」はおそらくそういう意味です。だから自分たちもそうなると、貞雅さんも田中住職も思っていた、しかしそこに想定外があったのです。
【想定外】
田中住職の場合、医学的にはまだ寿命が尽きたと思われない段階(腹水がたまっていない、血圧の低下も見られないなど)で、意識の混濁、せん妄が始まってしまったのです。意識がはっきりしなくなるときちんとした会話ができない、「痛い、痛い」「眠らせてください」としか言わなくなる。
きちんとした別れの儀式もしないうちに亡くなる、それは貞雅さんには受け入れがたいことでした。
「まだ死なれたくないの」
「みんながあなたに一日でも長く生きてほしいと思っている」
「いっぱいまだやり残しがあるんだから、あなたが投げちゃだめじゃない」 「薬を使わないのはあなたが最期だと思っていないからだよ」
そしてその時点から、予定された「究極の理想の死」はあらぬ方向に大きく舵を曲げていくのです。
【この人を死なせない】
「この人に死なれたら困る」「絶対死なせない」
それが一般人ならたいていのは“願う”だけで終わりです。しかし貞雅さんは違いました。彼女もまた妻であると同時に、僧侶であり医者でもあったからです。医者が本気で「この人を死なせない」と決心すると、やれることは山ほどあるのです。
「持続的鎮静」が始まり麻酔薬が点滴されるようになっても、日に2回、貞雅さんはバルブを止めて住職を覚醒させてしまいます。
その上で、
「やっぱ動かした方がいいのかね?」
と迷い、人の手を借りて立たせようとしてみたり、可動式のベッドに縛り付けてベッドごと立たせたり、あるいは再び自分で食べられるようになるまで回復させたいとアイスクリームを口に運んだり――。
そしていよいよ心停止のとき、貞雅さんは心臓マッサージをし、直接心臓に強心剤を打ち込んだりします。
誰にとっても明らかなように、それは田中住職が望んだ「究極の理想の死」とは異なったものでした。
【人はひとりでは死ねない】
けれど放送はそこで終わったわけではありません。
亡くなった田中住職の枕もとで、NHKの撮影クルーは、
「先生が最初のときに、お話しくださった、『自分のお葬式まで撮ったらいいよ』って、おっしゃってましたので、そのお言葉に甘えさせていただいて、もうちょっと撮影させていただきますので、よろしくお願いします」
と言葉をかけ、葬儀の場面から火葬場でお骨が取り出されるところまで撮影し続けます。
それはまるで住職の意志とは逆に振れた振り子を、もう一度戻そうと試みているかのようでした。
しかしクルーは貞雅さんを非難したわけではありません。
ナレーションはこんなふうに言います。
田中さんが教えてくれたことは、死はきれいごとではない、思い通りにいかないということ、 そして、人はひとりでは生きていない、だからひとりでは死ねないんだということも
死は故人のものであり、個人のものです。
「どうせ最後は灰なんだから、庭でも海にでも撒いてくれればいい」
そんな言い方をする人がいます。
「人間結局一人ぼっちなんだから、どこかで野垂れ死にするさ」
そんな言い方もあります。
もっと穏やかなところでは、
「私が死んだら家族以外誰にも知らせず、お経ひとつあげてひっそり埋めてほしい」
しかし「人はひとりでは生きていない、だからひとりでは死ねない」のです。
この国で散骨を本気でやろうとしたら法律的なことも含め、様々に面倒なことがあります。家族や親せきに一人でも反対する人がいたその説得も面倒です。
本人が“野垂れ死にでいい”と言っても、本気で実行されたら家族ばかりでなく社会のあちこちに迷惑をかけます。
昨年の義母の葬儀は、今はやりの「家族葬」という形式で行いました。親戚やごく近しい友人には知らせ、広告はしない。ご近所には知らせるものの葬儀への参列は平に容赦願う、すべてが終わってから新聞等には広告するという、ごく常識的なものでした。そのつもりでいました。ところがこれがけっこう面倒くさい――。
人の口づてや気の利く人の連絡、風の噂などによって、その後1カ月以上に渡って知己がひとりひとり訪れてくる、そのたびに香典等を持ってきますから改めにお返しも用意して、ひとりひとり郵送しなければならない。
そもそも葬儀当日も、どこで知ったのか開始時間きっかりに喪服で寺に来てくださる人がいて、受付の用意すらないので大いに慌てた経緯もありました。
「人はひとりでは生きていない、だからひとりでは死ねない」
だから私は、
「普通にやってくれればいいよ(それが一番面倒くさくなさそうだから)」
家族にはそんなふうに言ってあります。
*番組全編がyoutubeで見られます。興味ある方はご覧ください。
ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日 0918 2017(50分)