カイト・カフェ

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「若者よ、しかし悪いことばかりではない」~老い③

 年老いた人間の生活を、若者はあまりにも低く評価する。
 老いて醜く、誰からも期待されず、
 社会に寄与するどころか邪魔にさえなっている――。
 だが若者よ、そんなふうに見える高齢者の生活、悪いことばかりではないのだよ。

という話。

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(写真:フォトAC)

 
 

【「老人」も、そこまで悪いものではない】

 NHKのEテレ「100分 de 名著」の第3回(12日月曜日夜)は「老いと性」がテーマで、それはそれでかなり面白かったのですが、今の私の流れとは合いませんので、考えるとしたら別の機会にしたいと思います。
 その上で、

 ボーヴォワールにケチョンケチョンにけなされ、井上陽水に憐れまれ、長谷川町子には戯画化されてしまった「老人」というものも、そこまで悪いものではないだろうというお話をしたいと思います。

 ただし、それは60代後半を生きる私が自分の実人生をかなり気に入っているという話であって、決して一般化できるものではなく、かつこういうふうに生きなさいというものでもありません。

 考えてみれば平均寿命が男女ともに80歳を越え、60歳の定年退職から数えると平均余命が24年(男性)から29年(女性)もある国のことです。退職ホヤホヤと前期高齢者と後期高齢者を一緒くたに語るというのは、最若年に移し替えると乳幼児と30歳前を一緒にするようなものですから、ムリがあるのです。
 ですから、あくまでも前期高齢者の仲間入りをしたばかりの、その位置での話としてお聞きください。
 
 

【60年ぶりにゆとりを手に入れた】

 まず、10代の若者に言っておきます。まだ生徒・学生のキミたちは、「大人になったら終わりだ」「就職したら自由はなくなる」と思っているかもしれませんが、私が学校を卒業してから一番最初に手に入れたのは、まさにその「自由」だったのです。大人になったおかげで自由になりました。
 何から自由になったのかというと、意外と思いつかないかも知れませんが、「定期試験」からの自由です。

 もちろん世の中には試験が向いていて、努力が成績に反映しやすく、やっただけの点数が取れて有能感や自己効力感を得やすい人はいます。そういう人はいいかもしれませんが、私の場合は昔の炭鉱のボタ山を登るがごとく、“三歩進むんで二歩下がる♬”ならまだしも、踏み込みが甘くて数メートルも滑落してたり、10㎝も進めなかったり――たいへんな無駄足を踏んだ上での低評価ですからかなわないのです。

 もちろん大人になっても「評価」そのものがなくなったわけではありません。しかし2カ月ごとに試されるとか、それによって近未来が変わってしまうとかいうこともないので、気分はほんとうに自由です。また、教員でしたから出世にも関心はなく、出世に関心がないと評価といっても大した問題ではなく、その「ゆるやかな評価」さえも、退職と同時になくなってしまいました。

 今は締め切りという概念もありません。もちろん畑を持っていますから、「その苗は今夜中に保温をしなければ霜にやられてしまう」といった締め切りはありますが、隣の畑を見て合わせて行けばいいだけのことです。
 それが目下、老人となった私が手に入れた最大のもの、60年間一度も手にしたことのなかったゆとりです。
 
 

【憂いのない生活】

 趣味として行う農業はほとんどストレスがありません。努力や勉強の反映しやすい世界です。気候によって大きく左右され、ときには一作物全滅ということもありますが、失敗の原因は明瞭でむしろ清々しい――。恋愛も営業も相手があってのことで何が悪かったのか、それどころかうまくいったときも何が幸いしたのか分からない――そういうことがあります。気苦労の多いことですね。

 うすうす想像はついているのかもしれませんが、老人になると金がかかりません。
 一山越えて分かるは、やはり一番金のかかったのは子どもの養育費だということ。特に一番収入のいいはずの50歳代に子どもが大学へ進学しており、私の場合は二人とも東京に住まわせての二重三重生活でしたで、月々の支出はひとりの月給ではまったく補いきれません。それが二人の就職でパタッとなくなりました。
 私の退職で収入もなくなりましたがそれを上回る支出もなくなって、むしろ楽になった、それが実情です。

 「金を稼ぐための支出」というのもバカになりません。
 月々のガソリン代は支給される交通費では賄いきれるものではありませんし、スーツも時々買い替えなくてはなりません。教員社会ではほとんどない飲み会も、納会だの忘年会だので出て行く金は時に1万円を超えました。ところが今は、1万円あれば半年(家で)飲めます。

 幸い私たちは夫婦で教員だったので、現職中は死ぬほど忙しく、旅行もしなければ外食もせず(というのは家で食べれば30分で済む食事も、外食となるとどうしても1時間はかかるのです)、遊ぶ習慣もなければゴルフといった金のかかる趣味もありません。
 ほんとうになかったのは金よりも時間だったのですが、それでも普通の人よりはかなり慎ましい、貧乏みたいな生活をしてきました。おかげで今はわずかな年金でも食うに困りません。以前と同じレベルの生活です。

 子どもは二人とも大人になって離れたので、成績や交友関係、進学だの就職だのといったことで悩むこともありません。総じて生活に憂いがないのです。

 しかし歳をとってよかったということはまだまだあります。

(この稿、続く)