「神風特攻隊――私たちはその死にふさわしい日本をつくったのか」~夏休みのこと、終戦記念日に思ったこと

 夏休みが終わりました。今日から後期研修、そして来週からは二学期です。
 二学期と言えば、私は一昨年の始業式、校長先生が「学校が始まって嬉しくて仕方ない人」と尋ねたら驚くほど多くの手が上がったことを思い出します。もちろん「もっと夏休みが長ければいいのに」という方に手を上げた子もいましたが、学校を楽しみにしている子がたくさんいるということ自体が新発見でした。そうした子どもの期待に応え、「もっと夏休みが長ければ・・・」という想いの子たちを裏切るように、有意義な二学期にしてあげたいものです。

 私自身の夏休みは、今年の暑さもありますが、それ以上に年齢的な問題で本当にグータラしたものでした。畑にも家にもたくさんの仕事を残していたのですが、とにかく早朝にしか働けない、9時を過ぎると汗まみれで、あとは一日部屋にこもっているだけです。
 おかげで今年は終戦の日の特番を多く見ることができました。特に神風特攻隊に関する番組が気になりました。子どものころ、最初に読み終えた大人の本が「ああ、同期の桜」だったからです。

【神風特攻隊――私たちはその死にふさわしい日本をつくったのか】

 今回見たテレビ番組では、神風特攻隊の第一号が海軍のトップエリートだったことを初めて知りました。エリートでも特攻に送るという姿勢を見せなければ、後が続かないと上層部は考えたようです。

 特攻の始まった初期には3割を超えた命中率も、米軍の防衛体制が整うと2割にまで落ちてしまったこと、米軍は航空母艦からかなり離れたところに巡洋艦などを配置し、レーダーで機影を捉えると大量の戦闘機を空母から発進させ、特攻機を打ち落としたということ、500kg爆弾を搭載して動きの悪い特攻機はそうなるとひとたまりもありません。敵艦の姿も見えないところで手もなく打ち落とされる特攻隊員の無念は、思うだに切ない。

「私たちはそうした人々の無念に見合うだけの戦後日本をつくってきたか」
「彼らは現在のような日本を守るために、死んで行ったのか」
――これは私のオリジナルな問いではありません。バブルの時代に盛んに言われた言葉です。確かにあの時代は、戦没者に顔向けできないような現実がありました。しかしそれから四半世紀を過ぎ、東日本大震災を経て、私は「日本はなかなか良くやっている」という気持ちを持っています。年よりもがんばりましたが、今の若い人たちは本当に良い日本をつくり上げようとしている、そう感じるのです。

 残念なことに平和学習のもっともふさわしい8月6日、8月9日、そして8月15日は夏休みの真っ最中です。十分なことはできませんが、それでも8月中に、子どもたちが戦争のことを考える時間が取れればなと思っています。