毎日放送「プレバト!!」に出てくるような芸能人や一流アスリート、
彼らには共通する点がいくつもある。
そのうちのひとつが”恥知らずだ“ということ。
恥知らずたちが、最初の一歩をあゆみはじめる――。
という話。 (写真:フォトAC)
彼らには共通する点がいくつもある。
そのうちのひとつが”恥知らずだ“ということ。
恥知らずたちが、最初の一歩をあゆみはじめる――。
という話。 (写真:フォトAC)
【成功する人たちの共通点】
昨日の大谷翔平・梅沢冨美男、一昨日の「品のない二人の女性のふるまい」の話もそうですが、技能を極める人たちにはいくつかの共通点があります。思いつくままに列挙すると、
1.たぐいまれな負けん気・闘争心
2.異常な集中力
3.その持続力
4.師と仰ぐ人、または書物・手本に対する素直さ・従順さ
5.しかもそれらを乗り越えようとする向上心
6.記憶力・体力・俊敏性といった基本的能力
1.たぐいまれな負けん気・闘争心
2.異常な集中力
3.その持続力
4.師と仰ぐ人、または書物・手本に対する素直さ・従順さ
5.しかもそれらを乗り越えようとする向上心
6.記憶力・体力・俊敏性といった基本的能力
私たちが通常「才能」と考えるのは6番の「基本的能力」で、例えば野球選手ならそれにふさわしい体格、運動能力がなければ最初から話になりません。しかし世の中に体格や運動能力に恵まれてしかも努力ができる人などいくらでもいるわけで、その中でも突出した活躍ができる選手となると1~5のうちのかなりの数の条件が備わっている必要があります。
そして、さらにもう一つ大事な点があります。
【第7の共通点】
毎日放送の「プレバト!!」には将棋や柔道と同じように「段位」あります。梅沢冨美男は「有段者」を経て「永世名人」まで駆け上ってしまいましたが、もっと低い、「級」のレベルでの競い合いも行われていて、俳句は中学校の国語以来、絵筆も中学校卒業から握ったことがない、といった人が出てくることがあります。
俳句については分からないこともありますが、ダメな絵画の酷さについては私にもよく分かります。中には小学校4年生でもこんな絵は描かないだろうといった下手な作品もあったりします。
私だったらとてもではないですが、人様の前に出せないものを、彼らは堂々と出してくるのです。
ゴールデン・タイムの人気番組に出てくるような芸能人ですからすでに本業で名を上げていて、余技(俳句や絵画)でいくら恥をかいてもかまわない、といったといった自負でもあるのでしょうか、とにかく恥知らず。
そしてその「恥知らず」こそ、物事を成し遂げる人が最初の関門を潜り抜ける原動力です。私のように「恥ずかしいから」とか「もう少し形になってから」とか言ってうしろに下がっているような人間は上達しません。
これについて吉田兼好は、徒然草の第150段でこう言っています。
芸能を身につけようとする人で、「うまくできないうちは、なまじっか人に知られまい。内緒でよく練習したうえで人前に出るのが理想的である」と言う人があるけれども、こんなことを言う人は、一芸も習得できることはない。
未熟なうちから、上手な人に交じって、笑われようとも恥ずかしがらず、平気で押し通して稽古に励む人は、生まれつきの才能がなくても、中途で休まず、練習を我流にせず何年も励んでいると、才能があっても芸にうちこまない人よりは、ついには上手の域に達し、人徳もそなわり、世間からも認められ名声をえるものである。
天下に聞こえた芸能の達人といへども、はじめは下手との評判もあり、欠点もあったものである。
けれども、芸能に定められたいましめを正しく守って、勝手気ままにしなければ、その道の名人になることは、どんな道でもかわることはない。
「プレバト!!」に出てくるような人たちの7番目の共通点がこれです。
「良い意味での恥知らず」
彼らは本業でも、初めのうちはそうだったのかもしれません。
俳句については分からないこともありますが、ダメな絵画の酷さについては私にもよく分かります。中には小学校4年生でもこんな絵は描かないだろうといった下手な作品もあったりします。
私だったらとてもではないですが、人様の前に出せないものを、彼らは堂々と出してくるのです。
ゴールデン・タイムの人気番組に出てくるような芸能人ですからすでに本業で名を上げていて、余技(俳句や絵画)でいくら恥をかいてもかまわない、といったといった自負でもあるのでしょうか、とにかく恥知らず。
そしてその「恥知らず」こそ、物事を成し遂げる人が最初の関門を潜り抜ける原動力です。私のように「恥ずかしいから」とか「もう少し形になってから」とか言ってうしろに下がっているような人間は上達しません。
これについて吉田兼好は、徒然草の第150段でこう言っています。
芸能を身につけようとする人で、「うまくできないうちは、なまじっか人に知られまい。内緒でよく練習したうえで人前に出るのが理想的である」と言う人があるけれども、こんなことを言う人は、一芸も習得できることはない。
未熟なうちから、上手な人に交じって、笑われようとも恥ずかしがらず、平気で押し通して稽古に励む人は、生まれつきの才能がなくても、中途で休まず、練習を我流にせず何年も励んでいると、才能があっても芸にうちこまない人よりは、ついには上手の域に達し、人徳もそなわり、世間からも認められ名声をえるものである。
天下に聞こえた芸能の達人といへども、はじめは下手との評判もあり、欠点もあったものである。
けれども、芸能に定められたいましめを正しく守って、勝手気ままにしなければ、その道の名人になることは、どんな道でもかわることはない。
「プレバト!!」に出てくるような人たちの7番目の共通点がこれです。
「良い意味での恥知らず」
彼らは本業でも、初めのうちはそうだったのかもしれません。
【良い意味での”恥知らず“が生き残る】
考えてみれば私たちは幼児の時期には何でも褒められました。
ハイハイができるようになったといっては誉められ、立った、歩いたといっては誉められ、オマルでウンチができたといっては誉められました。それは他の赤ちゃんより早くできからではなく、上手にできたからでもありません。とにかく”できた“ことに価値があり、親は喜び、大げさに騒いだのです。
「黒々と並んだウンチの入るオマルを前に、下半身裸のまま、戸惑いながらも誇らしい表情で立つ幼児」
という図には、記憶のある人も多いと思います。
しかしある時期から、私たちは”できた“だけでは誉められなくなってしまいます。「(他人)より速く、(他人)より高い得点で、(他人)よりうまく」できないとダメになってしまうのです。そして子どもは委縮する。
しかしそこでも萎縮しなかった“恥知らず”が、結局は成功への道を歩き始めるのです。
(この稿、続く)
ハイハイができるようになったといっては誉められ、立った、歩いたといっては誉められ、オマルでウンチができたといっては誉められました。それは他の赤ちゃんより早くできからではなく、上手にできたからでもありません。とにかく”できた“ことに価値があり、親は喜び、大げさに騒いだのです。
「黒々と並んだウンチの入るオマルを前に、下半身裸のまま、戸惑いながらも誇らしい表情で立つ幼児」
という図には、記憶のある人も多いと思います。
しかしある時期から、私たちは”できた“だけでは誉められなくなってしまいます。「(他人)より速く、(他人)より高い得点で、(他人)よりうまく」できないとダメになってしまうのです。そして子どもは委縮する。
しかしそこでも萎縮しなかった“恥知らず”が、結局は成功への道を歩き始めるのです。
(この稿、続く)