カイト・カフェ

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「誰が日本人を『日本人』に育ててきたのか」~言わなければ誰も評価しない②

 世界に誇る日本人の美質をDNAのせいにして、
 自然に備わったかのように説明する人たちがいる。
 しかしそんなことはないだろう。
 日本人の道徳性は、誰かが真剣に考え、教え、訓練してきたのだ。

という話。

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(写真:O-DAN)
 
 

【日本人の道徳性はDNAのおかげか】

 アメリカの球場で大谷翔平選手が自然な姿として見せる数々の美徳――グランドのごみを拾うとかダッグアウトを汚さない、敵・味方・観客を問わず親切に扱う、謙虚で慎み深く純粋だといったことは、アメリカだから賞賛されるのであって、わが国ではさほど珍しくないことを私たちは知っています。
 しかし日本で珍しくないことを説明するのに、DNAを持ち出すのはいかがなものでしょう。
「こうした美徳は日本人のDNAに刷り込まれた――」
といった使い方をします。

 気楽にネット検索にかけても、簡単に見つけ出すことができます。
『「文明度」に関しては現在我が国が世界で一,二位を争っていることは事実である。それは,科学技術立国を標榜して来た我が国の科学と技術の成果,それに伴う経済力の強さ,国民の学力水準の高さ,及び数千年の長きにわたって日本人のDNAに刷り込まれた几帳面さ,努力心,勤勉さ,忍耐強さ等によって獲得されたものである』
 ある有名な大学の先生が学会誌に寄稿した文章の一節です。

 しかしDNAのおかげと言ってしまうと誰も何の努力もしなかったことになってしまいます。まさに、
「(D)誰かが、(N)なんとなく、(A)温めた」、日本人なら誰でも持っていて当然の資質ということになるのです。
 しかしそんなことってあるでしょうか? 日本人の両親から生まれた子なら、どこの国の人に育てられても日本人になってしまうのでしょうか?
 
 

【昔の人間はどこまで立派だったか】

 もちろんそんなことはありません。そもそもいま賞賛されるような日本人の美質を、昔から持っていたかどうかだって怪しいのです。

 私が子どもだった半世紀前ですら、日本の道路なんて見られたものではありませんでした。路上喫煙の吸い殻は道に捨てるのが当たり前で、雨が降ると汚れたフィルターが一斉に流れて歩道脇に溜まっていたものです。
 駅の構内には痰壺と呼ばれる白いホーロー製の壺があって、男たちはそこに痰を吐きました。しかもそれはきちんとした男性の話であって、普通は線路に向かって、時にはプラットフォームの床上でも、平気で吐き散らかしたものです。前夜飲みすぎた酔漢の嘔吐物があちこちに散らかっていましたから、痰くらいは苦にならなかったのでしょう。

 今でこそ日本製品は質が高いと相場が決まっていますが、太平洋戦争前の日本の製品は「安かろう悪かろう」が当たり前でした。第一次世界大戦でヨーロッパの工業が壊滅的になったので、何をつくっても売れたのが悪弊の始まりでした。その悪評を覆すのに何十年もかかったのです。
 NHK大河ドラマ「青天を撃け」で間もなく出てくるはずですが、渋沢栄一の最も努力を傾けたのは日本人の商道徳の確立です。明治初期の日本人は“納期を守らない”“契約後に値下げ(または値上げ)交渉を始める”など、外国人からはまったく信用がなかったのです。

 一昨日のニュースで、アメリカの宅配では置き配が一般的なのに、最近玄関先から盗まれることが多くて困るという話題を扱っていました。しかし玄関まで届くだけでも昔の日本よりマシなのかもしれません。大正時代の日本の運送業における最大の問題は、業者による荷抜きです。送ったものが途中で抜き取られて、きちんと届かなかったのです。

 吉原の医者は血液検査を偽って陰性の女性に高価な注射を何本も打ったりします。教師のわいせつ行為もいまよりずっと多かったのですが、驚くべきは放火・殺人といった重犯罪も少なくなく、わいろを使っての昇進というのも日常茶飯でした。もっとも校長と警察署長と市長の給与・待遇が同じという時代ですから、ムリしても昇任する価値があったのでしょう。

 遺伝子が今日の私たちの道徳性を培っているとしたら、日本人はとんでもない悪徳民族に育っていたはずです。それを誰かが押しとどめ、是正し、古い日本人の美質をさらに高めて古い日本人の悪徳を何年もかかって矯正した。そういう人ないし組織があった、そう考えないと今日の日本人を理解することはできません。
 
 

【誰が日本人を「日本人」に育ててきたのか】

 この国で組織的・計画的に道徳教育を実施してきた存在としては、保育園や幼稚園を除けば学校以外考えられません。西欧諸国ではキリスト教が、中東やアフリカではイスラム教が、ソ連ではボリシュビキ、中国や北朝鮮では共産党労働党が果たしてきた役割を、日本では学校教育が担ってきたのです。

 道徳(今は「特別な教科道徳」)の時間に教室で基礎基本を学び、当番活動だの児童生徒会だの、運動会や文化祭、修学旅行といった特別活動、そして部活動などの課外活動を通して、うんざりするほど実地講習を行って育て鍛えてきた――、それが日本人の高い道徳性なのです。

 大谷選手が四球のバットを丁寧に置く仕草、噛んだヒマワリの種の殻を紙コップに捨てる姿、観客がグランドに落とした物を拾って投げ返してやる様子から、幼保・小中・高校に在籍している間じゅう、「ものを大切にしましょう」「できるだけゴミを出さないようにしましょう。自分のゴミは自分で始末しなさい」「人に迷惑をかけてはいけません」「困っている人がいたら助けてあげましょう」としつこいほどに教えられ、練習されてきたことを想像するのは容易なことです。大谷選手が直接に指導されなくても、そう指導され続ける中で育ってきたことが、今の大谷翔平をつくっているのです。

(この稿、続く)