教員採用の際、候補者の性犯罪記録を調べようと、自民党行革本部が言い始めた。
そこまで信じられていない。情けないことだ。
実際に、一部ネット市民が言うように、「教員は性犯罪予備軍ばかり」なのだろうか。
この際きちんと調べてみなくてはならないと思った。
という話。
(写真:フォトAC)
【自民党が、教員採用の際に性犯罪記録を調べようと言い出した】
土曜日の読売新聞に(2021.02.20)「教員・保育士の採用時、性犯罪歴の照会を…制度創設へ自民行革本部が議論」という記事がありました。
それによると、
自民党行政改革推進本部(本部長・棚橋泰文元科学技術相)は、学校での子供の性犯罪被害を防ぐため、教員や保育士の採用時に採用候補者の性犯罪歴を照会する制度創設に向けた議論を始めた。5月上旬をめどに、提言を取りまとめる。
ということです。そう簡単に通る話とも思いませんが、なんとも情けないことです。
ただ政府や自民党が苛つくのは無理もないことで、ここのところ教師の性犯罪に関する報道が毎週のようにネットを賑わせています。政府・自民党としても世論に突き上げられれば何かしないわけにはいきません。
教員評価だの、児童・生徒・保護者へのアンケートだの、非違行為根絶のための教職員研修だのと、もう手はほとんど打ち尽くして、前歴調査くらいしかやることがなくなってしまったとも言えるかもしれません。ただしそれで炙り出されるような人はごくわずかでしょう。
私にも過去に同僚で盗撮のために逮捕・起訴されて懲戒免職となった教員がいますが、いまでもその人をネット検索にかけると、上がってくるのはわいせつ事件とともに授業改善に関する論文ばかりです。きわめて優秀で、熱心な教諭でした。
怪しいヤツばかりが犯罪者ならこの世は簡単です。
【信じられないような犯罪、それでも他人ごとではないのか?】
最近では満員電車の中で女子高生に体液をかけた神奈川の教頭だの、わいせつ目的で10代の女性を誘拐した静岡の教頭だのと管理職の犯罪も見られるようになっています。教頭だからといって人格者とも限りませんが、20歳代から教員を始め、50歳代になるまでおよそ30年間、なぜボロが出なかったのか。
よほど周到にやっていたのか、あるいはその歳になって初めて行うようになったのか、そのどちらかでしょうがいずれにしても具体的なイメージがわきません。前者が答えだとすると犯罪のいかに発覚しにくいかに驚き、後者だとすると50年以上も眠っていた性のスイッチが突然はいるこころの仕組みが、まったく想像できないのです。
ネット上では「教員になるようなヤツはもともと小児愛の傾向がある」とか「オレの大学の教育学部はそんなヤツばかり」といった言い方が横行し、一方、教師の一部は「あんなものは教師がやったからニュースになるので、一般サラリーマンなんか山ほどやってもマスコミに載らない」といった反省のない考えや、いくら研修をやっても他人事でしかない人もいたりします。実際、女性の先生方は度重なる研修にウンザリしているでしょうし、私自身もどう考えても犯罪レベルでのわいせつ行為はやりそうな気がしないのです。それを「他人ごとではない(オ前ダッテ、アヤシイ)」と言われると侮辱さえ感じます。
では実際のところはどうなのでしょう? 教師の性犯罪は一般より飛び抜けて多いのでしょうか?
【教師の性犯罪はとびぬけて多いのか】
これについてはネット上に便利な記事がありました。少し古いものですが、
「職業別犯罪率ワーストランキング 土建、無職、飲食の首位争い グラフつき」という記事です。警察庁の「平成29年罪種別犯行時の職業別検挙人員」を基礎資料として、17に分類した職業別の、10万人あたりの犯罪率を計算して順位付けしたものです。
それによると、凶悪犯の「強制性交等」と風俗犯の「わいせつ」を合算し、「性犯罪関連」としてランキングした順位で、教員はちょうど真ん中の9位(5.50人)。1位の飲食業(14.40人)と比べると四分の一強ですからかなり少ないと言えます。ただし全職業の10万人あたりが3.99人ですからそこから考えると多いとも言えなくはありません。
どう考えるか難しいところですが、「教師は全員ロリ(ロリータ・コンプレックス)」といった言い方が適切でないのは確かでしょう。
ところが同じサイトの別の犯罪項目と比較すると事情が一気に変わってきます。というのは、性犯罪以外での教員の順位は極めて低いのです。
全検挙数は10万人あたり40人で16位(下から二番目)。
以下、
殺人・強盗・強制性交などの凶悪犯15位。
暴行・傷害・脅迫などの粗暴犯15位。
窃盗犯17位。
詐欺・横領・汚職・背任などの知能犯16位。
その他、占有離脱物横領等16位。
つまり教員は犯罪と極めて親和性が低く、犯罪者となりにくい。それなのに性犯罪だけは9位で、教員の犯罪としては跳びぬけて多いということになるのです。
やはりこれは由々しき問題としてじっくり考えてみる必要があります。
(この稿、続く)