カイト・カフェ

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「日本の教育の体験中心主義がバーチャルを遠ざける」~日本でオンライン学習が進まない理由②

 日本はオンライン学習で諸外国に後れをとったというが、
 そんなことはない。
 後れたのはコンピュータ教育全部だ。
 しかし、それにはそれなりの理由がある。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200604070651j:plain(「試験管」フォトACより)

【後れていたのはオンライン学習ではなく、コンピュータ利用そのもの】

 中国、韓国、アメリカをはじめ各国はオンライン学習が進んでいるのに、なぜ日本は後れてしまったのかという話を追ううちに、どうやらICT先進国だって会議システムを使って教室の授業をオンラインに移すようなことはやって来なかったのではないか、という話になりました。今回の新型コロナ事態までは必要がなかったからです。


 しかし日本の学校のICT教育の遅れは昨日引用した新聞記事でも明らかですし、今回、双方向式オンライン学習が始められなかった理由のひとつは、学校に児童生徒用の個人持ちPCがなかったことでした。
(正直言って私は、中国や韓国、アメリカでは、学校に児童生徒数分のPCがそろっていて、子どもたちはそれを持ち帰ってオンライン学習をしているという話をまったく信じていません。すべて家庭にWi-Fiなどの通信環境が整っているということもないと思っています。私の考えを支持してくれそうな記事もいくつか読んだことがあります。しかしオンライン学習信奉者の方々が『日本以外はうまくいっている』と言うので、一応引き下がっておきます。私には外国の教育事情を視察するだけの資金もツテもありませんから)

 学校に児童生徒人数分のPCがない!
 コンピュータ教育はもう何十年も前から行われていて、プログラミング教育さえ始まろうとしているのに、この体たらくは何なのでしょう。なぜ機器の整備は遅れ、教師の研修も不十分でコンピュータを利用した教育は進まなかったのか――。

 私にはその理由がわかりますし、政府、文科省、そしてマス・メディアの方々も知っているはずなのに、あえて言おうとしません。
 ネット市民の巨大な力を知った今、何を言っても叩かれるなら黙っているか、いっそのこと叩く側に回って一緒に文句を言っていた方が楽だ、だから言わない――まさかそんな理由ではないと思うのですが、文科省の大臣または次官あたりがきちんと説明すれば、理解する人は少なくないと思います。しかし決して口にしません。

 私が大臣または次官なら、新聞記者・放送記者・雑誌記者を一堂に集め、きっとこんなふうに言うでしょう。
(以下、T大臣とは私のこと)

 

【T大臣、かく語る。――理科室はほんとうに必要なのか】

 本日はお忙しいところをお集りいただき、ありがとうございました。
 早速ですが、先日の会見の際のお尋ねにあった、「なぜ諸外国に比べ、日本はオンライン学習が遅れてしまったのか」についてお答えします。

 オンライン学習といっても、皆さまが想定するような“インターネット回線を通じて学校の先生が児童生徒とともに双方向で学ぶ学習”に実績のある国や地域はひとつもありません。だってこれまでどこもやる必要がなかったからのですから。
 今、始めている国ぐにも、エッチラ、オッチラ、試行錯誤を重ねながらなんとかやっているにすぎません。

 確かにICT教育という点では日本は後れを取った面はあります。しかしそれはICTに優先してやらねばならないことがあって、そちらにお金も力も奪われたためであり、決して怠けていたわけではないのです。

 考えてもみてください。
 世界中であんなに優れた実験・観察設備をもった理科室のある学校なんて、日本にしかないのですよ。しかも日本中のすべての学校に整っているのです。日本の子どもたちはあれだけ豊富な器具・装置を使って日々、実験や観察をしているのです。
 昨年ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんだって、小学校時代にファラデーの「ロウソクの科学」を読んで、しかも学校の理科室でさまざまな実験装置に触れることができたから偉大な科学者になれたのです。あれが本だけだったら、どんなに貧しい研究生活のスタートになったことか。

 もちろん吉野さんの育った時代とは異なって、今はインターネットというすばらしいものがありますから、実験も“オンライン”で行えば“本で読むだけ”の時代よりはずいぶんマシでしょう。おそらく理科室の充実していない国々では、理科の授業がそんなふうに“オンライン”で行われているはずです。子どもたちは動画の中で実験の詳細を知るのです。
 しかし実際に試験管やフラスコに触って、アルコールランプの炎をのぞき込みながら行う実験と、モニターの中で同じことをするのとでは、教育効果という点ではどちら有利なのでしょう?

 今みなさんが想定しているテレビ会議システムを使った双方向のオンラインだって、実験となればモニターの向こうで先生がやるしかありません。費用を使って全児童生徒の家に実験キットを送るという方法も考えられますが、問題は経費よりも安全です。
 先生が行う実験なら、子どもどうしで行うよりもはるかに効率的で望ましい結果も出てくるでしょう。うまくいかなければ撮り直せばいいだけです。安全面でも問題がありません。

 いかがですか? 理科のオンライン学習はどうしてもそうならざるを得ませんが、それでいいと考えますか?
 それでいいという人は、この場から退席してください。分かり合える気がしません。

 

【工場見学は時間のムダか】

 別の教科の話をしましょう。
 社会科や総合的な学習の時間で、日本の子どもたちは大変な量の体験活動をさせられています。

 生活の中や世の中のできごとから課題を見つけ、仮説を立て、図書館で調べたり電話をかけたり専門の人の話を聞いたり、あるいは実際に現場に行ってみたり――。そうして仲間と話し合い、課題を解決し、理解を深めていくのです。
 信じられないくらいの時間がかかります。しかもそのための準備は、授業の終わったあとの先生たちが大部分を行っているのです。たいへんですが必要なことだと先生たちは信じています。

 しかし皆さんの中には、そんな遠回りをしなくたって答えはネットの中にあるじゃないか、そういう方もおられるかもしれません。
 わざわざ工場見学に行かなくたって、例えばYoutube日産自動車「日産のクルマができるまで【子供向け説明入り】」で学習すれば、自動車生産の過程はわずか5分7秒で学べます(教師は「日産のクルマができるまで【大人向け説明入り】」で予習をする)。
 それが工場見学だと、事前準備やら学習のまとめやら、実質的には何日もかかってしまいます。なんと非効率なことか――そうお考えの方もいるに違いありません。
 そういう方もこの場から退出してください。教育に対する考え方が根本から違いますからともに天を戴くことができないのです。

 音楽鑑賞、美術鑑賞、技術家庭科の木工、金属加工、調理、裁縫、体育のすべて、こうしたものは全部自分で実際にやってみないといけないものだと、日本の先生たちは固く信じてきたのです。そのためにたいへんな時間をかけて研修を行い、下準備もしてきました。

 しかし日本以外の多くの国々はここまで厳密な体験主義に基づいていません。 もちろん音楽では声に出して歌わなくてはいけないし、体育では映像を見て実際にスポーツをしたつもりになってはいけないといった部分は同じですが、理科の実験や自然観察、社会科の見学、美術鑑賞や音楽鑑賞などが、かつては割愛され、現在は多くの部分がオンラインで学ばれます。だから彼らはあんなにコンピュータに堪能なのです。

 日本の教育の体験中心主義が、バーチャルを遠ざける。それが一つの真実です。
 ただし体験活動が豊かなためにオンライン教育に頼らずに済む――だけでは、今の日本のICT教育への熱意のなさは説明できません。

 実は学校の先生たちには、本気でオンライン学習を避けている様子も見られるのです。

(この稿、続く)