カイト・カフェ

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「ヨーロッパの状況、新型コロナに対する方向が見えてきたのかもしれない」~新型コロナのデータに見る世界の今④

 ヨーロッパ諸国も日本同様、第二波の感染拡大に襲われつつある。
 しかし死亡者の増加は第一波ほどではない。
 その点でも日本と同じだ。
 もしかしたら私たちは対応の肝をつかんだのかもしれない。

という話。

f:id:kite-cafe:20200914073100j:plain(写真:フォトAC

 

エスニック・ジョークをひとつ・・・】

  各国のステレオタイプ化した民族性を前提につくられるジョークを、エスニック・ジョークといいます。私が一番好きなのは、

タイタニック遭難のような状況で、各国男性に救命ボートを諦め、船に残ってもらうための一言。
 イギリス人には「紳士はそうするものです」
 ドイツ人には「規則でそうなっています」
 アメリカ人に「ヒーローになれるぞ!」
 イタリア人に「女にモテるぞ!」
 そして日本人には、「みな様、そうしておられます」


 ところが最近、これの亜流で「船に残ってもらう」ではなく「海に飛び込んでもらう」というのを覚えましたので紹介します。
タイタニック遭難のような状況で、各国男性に救命ボートを諦めて海の飛び込んでもらうための一言。
 イギリス人には「紳士はそうするものです」
 ドイツ人には「規則でそうなっています」
 アメリカ人に「ヒーローになれるぞ!」
 イタリア人に「女にモテるぞ!」
 そして日本人には、「みな様、そうしておられます」

――まったく同じです。しかし今回はフランス人が加わったので紹介する気になったのです。
 フランス人には「飛び込むな!」と言うのだそうです。

 

【フランスの状況】

 フランス人がほんとうに天邪鬼だったり政府の言うことを聞かなかったりするのかは知りませんが、ジョークとして通じる以上そういう国民性だと思われているのは事実でしょう。

 3月中旬にパリにいた友人の話だと、エッフェル塔を望むトロカデロ広場やセーヌ河岸に集まって盛り上がる群集がいて、マクロン大統領が激怒したといいますから、実際に従わない人は徹底しているのでしょう。先日ニュースで見たシャンゼリゼの風景でも、マスクをしている人を探す方が大変でした。
 また朝日デジタル2020.09.12「仏の感染者隔離、1週間に短縮 『長いと守られない』」が示すように、法律は国民に合わせて作られるもののようです。

 フランスの現在の感染状況は次のようです。

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 日本と同じように第一波を凌ぐ第二波が起こっていますが、感染者の増加から2週間で始まると言われていた死亡者の増加は見られません。日本の場合も第二波での死亡者の増加は一カ月あまり遅れて始まりましたからフランスもこれからということなのかもしれませんが、前とは何かが違ってきているのでしょう。

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【スペインの場合、ドイツの例、イギリスのケース、イタリア】

 フランスの隣のスペインでも第一波を凌ぐ巨大な第二波が起こっており、こちらの場合は死亡者の増加も始まっているようです。しかしそれも一カ月遅れといった感じで、第一波に比べて数が少なくて済みそうな点でも日本と似ています。

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 ドイツ・イギリス・イタリアも同様です。いまのところ第二波感染者の増加の度合いは緩やかで、死亡者の明らかな増加も見られません。もしかしたらこれらの国々では死亡者のグラフに第二波の山をつくらないまま、感染拡大を終えてしまうかもしれません。

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【新型コロナに対する方向が見えてきたのかもしれない】

 これについて私は、世界各国で新型コロナに対する方向が見えてきたからかもしれないと思うようになっています。
 ひとつは医療の現場で、特効薬がないまま、それなりに標準治療というものが確立しつつあること、そしてもうひとつは各国の社会状況が変わってきたからではないかと思うのです。
 マスクをする、三密を避ける、ソーシャル・ディスタンシング、手洗い・アルコール消毒はもちろんですが、老人を守ることが死亡者を少なくすることに直結するということが、各国で浸透してきたように思うのです。

 例えばイタリアでは、都会で働く若者が週末になると郊外の両親の家に戻って祖父母とともに過ごすのが一般的でしたが、第一波に懲りて実家に行かなくなった、ということはあるのかもしれません。

 イギリスは新型コロナウイルスの被害を最も大きく受けた国(感染者に対する死亡率世界1位、10万人あたりの死亡者世界4位)のひとつですが、これを「医療崩壊ではなく介護崩壊」とした論評がありました(例えば2020.04.29 BBCニュース「イギリスで介護施設の死亡急増、政府は病院以外の死者数も発表へ 新型ウイルス」)。ここには改善の余地があります。

 集団免疫を目指してロックダウンをせず、そのために防疫に失敗していたずらに死亡者を増やしたと言われるスウェーデンも、
死亡者の半分が介護施設入所者で、また25%は在宅介護を受けていて、高齢者のなかでも要介護度が高い人が犠牲になっています。文芸春秋8月号「スウェーデン『集団免疫作戦』のウソ」P344)
という状況でした。現在は死亡者も少なくなっていますから、その点に改善があったのかもしれません。
 要するに“高齢者を守る”ことが重要なのです。

 日本でも、先日書きましたように、介護施設にいる私の母の友人などはもう半年も面会禁止です。施設におけるこうした徹底した関係遮断、さらにはこれも先日書いた介護サービスの冷徹ともいえる感染予防によって、第二波は「規模が大きいにも関わらず、死亡者は少ない」という状況が生まれているのかもしれません。

 老い先短い老人が若い人――子や孫やひ孫と会えないのは悲劇です。しかし感染拡大を抑えながら経済を回すという意味では、それもいたしかたないのでしょう。