「日本人の衛生意識、素晴らしいが誇るようなものではない」~ベルサイユ宮殿とふんどし④

 100万人都市である江戸は実に清潔な町だった。
 しかしそれは歴史的産物であり、むやみに誇るようなものではない。
 翻ってそうではない国々を貶めるべきでもない。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200703071746j:plain(「江戸城の巽櫓」フォトACより)

 

【金肥:売り物になる糞尿】

 それまで屎尿処理に不熱心だった大家さんが急に熱心になった理由、それはもちろん共同便所の糞尿が売れるようになったからです。

 江戸という巨大な胃袋を満たす食料は近隣の農家が供給しましたが、関東平野の大部分はローム層と呼ばれる痩せた火山灰台地で、干鰯(干して砕いたイワシ)、油粕(菜種油の搾りかす)といった肥料のみでは、とてもではありませんが追いつかなくなったのです。
 下肥問屋(しもごえどんや)と呼ばれる専門の屎尿収集業者も現れ、江戸の糞尿は組織的に集められるようになります。もちろん個人で集めて回る農民もいましたが、その場合の支払いは金銭ではなく、作物で物々交換されることが多かったようです。

 しかしそうなると長屋の店子たちも黙っていません。
「それはもともとオレたちのケツから出たものだからオレたちに権利があるはずだ」となって大騒ぎ――というのは落語ネタですが、実際には大家さんの収入として認められていました。大家は現代と違って地主あるいは家主ではなく、裏長屋の管理人でしたからその給与の不足分として与えられていたのです。

 肥料用の糞尿は下肥(しもごえ)と呼ばれ、新鮮なものは作物に有害なうえに寄生虫の問題もありましたから、夏ならば1~2週間、冬ならば3~4週間、溜め置いて熟成させる必要がありました。そのために畑の隅に埋められた大きな壺のことを“のつぼ”といいます。
 ところがこの“のつぼ”、溜めた糞尿の表面にはすぐに薄い皮膜ができ、さらにその上に土埃がかぶさるとあっという間に雑草が生えて、完璧な落とし穴になってしまうのです。それに小さな子どもがはまってしまい、糞まみれで泣きながら帰ってくるなど日常茶飯事でした。今から考えると不思議なのですが、毎年同じ場所でだれかこうかはまっていたのです。学習能力がなかったのでしょうか?

 

【糞尿の等級】

 その下肥には等級があって、最上等は大名屋敷のもの、上等は市内公衆便所のもの、中等品は普通の町家のもの、下等は「タレコミ」といって尿の成分の多いものが相当します。どうやったら尿が多い糞尿になるのかよくわかりませんが、おそらく雨水が入り込んで薄められてしまったのでしょう。等級は糞尿の出所とともに匂いで判断されたと言いますから、どんな世界にもプロフェッショナルはいるものです。

 町家よりも大名屋敷の方が等級が高いのは、そうはいっても栄養価の高いものを食べていたからでしょう。町人にも豊かな人はいましたが、貧乏人をたくさん含んでいるので全体としては低いものとならざるを得ません。公衆便所はさまざまな人が利用するので上等品に分類されます。
 薄められた下肥よりもさらに悪いのが刑務所や留置場の糞尿で、よほどひどいものを食べさせられていたのか、上記の分類より下の最下等品ということになっています。そうなると武家屋敷の最上等の上を行く、超上等品というのも存在しそうです。
 もちろんあります。江戸城の糞尿です。

 これには特別の権利を持った業者が船で濠を渡って回収に当たったようです。支払いはタクアンで行うというのがきまりだったみたいで、いくつもの桶にびっしりタクアンを詰めて城内に入り、その桶に下肥を入れて引き返したのです。ということは再び江戸城に向かうときは同じ桶を丁寧に洗ってタクアンを詰めたわけで、現代人である私の感覚では相当に嫌なのですが、昔の人はあまり気にしなかったのかもしれません。私も、実際には他人事ですから、“黄色いタクアンをたくさん持って行って黄色の下肥を持ち帰るというところが何となく面白いなあ”などと気軽に思ったりしています。

 

【50年違っていたら日本史は変わっていた】

 ヨーロッパの大都市が本格的に下水道整備を始めた1850年代より以前に限って言えば、江戸とロンドン・パリの衛生状況には雲泥の差がありました。江戸市内の糞尿はほぼすべて回収され郊外に運ばれていたのに対し、ロンドン・パリでは街路にも王宮にもうずたかく積まれていたからです。しかしその様子を見た日本人はおそらくいません。

 岩倉具視を首班とする遣欧使節がヨーロッパに渡ったのが1873年ですから、ロンドンもパリもそうとうにきれいになっていたはずです。彼らはヨーロッパ諸国の発展と強さと美しさに度肝を抜かれて帰ってきますが、あと50年早く訪れていたらすっかり幻滅していた可能性もあります。そうであるならその後の日本の歴史もかなり変わったものになっていたことでしょう。

 ちなみに、もし汚いヨーロッパを見た可能性のある日本人がいるとすれば、それは天正遣欧少年使節(1582~1590)と支倉常長(遣欧は1613~1620)です。しかしいずれも国賓扱いでしたから、汚い部分は見て来なかったのかもしれません。

 
 

【すばらしいが誇るほどのものではない。翻ってそれのない国をバカにしてもいけない】

 4日に渡って風呂と糞尿の話をしてきました。私が申し上げたかったことは、ひとつには“やはり日本人の衛生意識は欧米人と比べると格段に上だ”ということです。しかしそれは歴史的・気候的・社会的必然であって、決して日本人が道徳的に優れているからではありません。それが二番目です。

 日本では緊急事態宣言か解除されてもマスクを外す人はいません。蒸れて肌が荒れたり日焼けでマスク痕が残るようなことがあっても手放そうとしないのです。それに対して欧米の各都市ではロックダウンが解除されると同時に、大半の人々は清々しいほどに鮮やかにマスクを棄ててしまいました。合衆国ではマスクを強制する州の方針に反対するデモまで起こっています。しかしそれとて感染予防意識の低さと言った問題ではないでしょう。

 アメリカ映画を見ていると西部劇にでてくる銀行強盗は皆スカーフで口元を覆っています。現代ものでも「羊たちの沈黙」のレクター博士を初めとして、悪役はしばしばマスクをつけて登場します。
 しかし日本の場合、(子どもたちに訊いてみれば分かるのですが)不審者はほぼ全員サングラスをしていることになっています。あるいは瞬間的に顔を隠そうとすると私たちは反射的に目を覆います。テレビや雑誌で人物を特定されたくない写真には目の部分に黒い線を入れたりします。
 顔を知られたくないとき、欧米人は口元を隠し日本人は目を隠すのです。そこには何か特別の理由があるのかもしれません。

 マスク対して反対運動が起こるのも、彼我の自由に対する感覚の違いだと説明する人がいたら私は引き下がってもいいと思っています。
 日本人にとって自由や平等は政府や欧米から与えられたものです。しかし欧米人にとっては、市民革命やその後の混乱の中で、とんでもなく大量の血を流してようやく獲得したものなのです。新型コロナごときのために譲っていいものではない――と、そういうことかもしれません。

 山中伸弥先生のいう日本人にコロナ死が少ないファクターXの一部は、確実に日本人の生活習慣(手洗い・うがい・入浴・マスク、靴を脱いで部屋に入る習慣、身体接触の少なさ等々)によるものだと私は思っています。しかしそれは誇るほどのものではなく、翻ってそれのない国々をバカにしていいものでもないと思うのです。

(この稿、終了)