「初心なあの頃、初心な人」~韓国は大丈夫か2

 韓国・文政権の外交のことを考えていたら
 遠い昔の自分のことを思い出した
 そして昔のわが国総理大臣のことを
 ――なぜそんなことが思い浮かんだのだろう?

というお話。

f:id:kite-cafe:20190708072618j:plain(「ソウルの夜景」phtoAC

【田畑を耕し、海に餌を撒く】

 古い話ですが教員になって間もないころ、何かの宴席で先輩の教師に呼ばれ、説教をされたことがあります。先輩の言い分はこうです。
「Tさんは生徒と勝負していない。生徒に向き合っていない。生徒から逃げている」

 まったくその通りで、自分でも問題を回避しているのは分かっていました。ですが面倒だから逃げていたのではありません。生徒と勝負する、そのやり方が分からなかったのです。
 例えば清掃の時間にサボっている生徒がいて、その子に仕事をさせる、そのために“勝負する”、その具体的な方法が分からないのです。

「オイ、サボってるんじゃない! 働け!」で「はい!すみません。しっかりやります」となるはずもありません。担任の目のあるところでサボるような子は、最初から挑発的なのです。言われていちおう手を動かす程度のことはするかもしれませんが、それ以上はしない。

 そこで「なにウダウダやってるんだ」みたいな言い方をすると厄介なことになります。シレっと無視されるだけならまだしも、相手の虫の居所が悪ければ、
「やれっていうから、やってやってるんじゃねえか」
「ふざけるな! そんなのは“やってる”中には入らんだろう」
みたいな不毛な言い合いになり、最後は怒鳴り合いです。
 こちらが沸点の低い教師の場合、その瞬間に暴力が出てあえなく懲戒免職です。

 そこまで行かなくても、仮に無視されて終わっただけだったとしても、それはそれで大問題です。何回も注意して何回も無視されるということは、結局担任の言うことは聞かなくていいと躾けているのと同じだからです。その躾は、周囲で見ている生徒にも伝わっていきます。

 したがって注意する以上は絶対に従わせなくてはいけない、従わせる自信がなければ黙っているしかない――それが私の“回避”の主な理由です。

 しかし暴力もダメ、暴言もダメ、話し合ってもダメ、逃げてもダメ――だったらどうすればよかいのか。

 
 今の私なら分かります。
 問題が発生したときの、その場で行える指導には限界があるのです。なだめようが、すかそうが、怒鳴ろうが、殴ろうが、その時点で切ることのできるカードには限りがあって効果も薄いのです。

 指導が指導として成り立つためには、相手が教師の話を聞き入れるだけの下地をつくっておかなくてはなりません。
 どうでもいいときにたくさん対話をしておくとか、相手の話をよく聞いてその生徒の理解を深めておくとか、気軽に声を掛けられる人間関係をつくっておくとか、あるいは道徳の授業や学級指導、教科指導や特別活動の中で、働くことの大切さとか、まじめに生きることの価値だとか、あるいは誠実に生活することの重要性だとか、そういうこと全部を丁寧に教えておくのです。
 その上で切るカードは、それ自体が大したものでなく手も必ず効果があります。普通の先生はそうしています。


 畑で言えば十分に肥料を入れて耕し、海だったらたくさんの撒餌を投げいれておくように、下準備をしっかりしておけば労せずして収穫を得ることができます。それもしないでいきなり種を播いたり糸を垂らしたりするから、エネルギーも時間もムダになります。

 

【正義は多様、人は言葉だけでは動かない】

 かつて日本に自分の奥さんから「宇宙人」と呼ばれた総理大臣がいました。
 彼は出口戦略もないのに前政権が決めた米軍基地の移転先を否定し、「最低でも県外」とか言ってしまったのであとで切羽詰まります。
 事態の進捗を心配するアメリカ大統領に対しても「トラスト・ミー」とか言ってドン引きにさせます。当時の米大統領は「沖縄問題で我々はどんどん時間がなくなっている」「貴方は私を信じろと言ったが、本当に信じられるのか」と詰め寄ったと言います。当たり前です。

 「私を信じろ」というからにはそれなりの材料がなくてはません。綿密で実現可能な計画があってそれを明らかにするとか、政治家として約束したことは必ず果たしてきたという実績があるとか、強い個人的人間関係があるとか――そういったものが一切ないのに信じてもらえると考えるのはあまりにも初心です。

 ただこの元総理は善人でしたからすべてのものごとに対して、誠意を尽くして正しいことを語り続ければ必ず世の中は分かってくれるはずだと信じ切っていました。彼が知らなかったことは、“正義”にはそれぞれ人数分ものかたちがあってしばしば拮抗すること、そして人は言葉だけでは動かないということです。


 以上、古い話を二つしましたが、これを思い出したのは、もしかしたら文在寅政権は、新任のころの私のように無策で、元総理のように初心なのかもしれないと考え始めたからです。

                           (この稿、続く)