カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「“美しい”ほどにきちんとした犬とバカな犬の話」~結局、人間と同じ

家の前を 本当に賢い犬が通っていく
美しいほどしっかりした犬だ
ところが一方 私が毎日出会うほとんどの犬は
まるで賢い感じがしない
しかしそれも人の飼い犬

という話。

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【“美しい”ほどきちんとした犬】

 上の写真とは関係ないのですが、最近わが家の前を通っていく犬はとてもお利口で、首をひょこひょこさせてあちこち眺めながらも、かなり速足の飼い主に遅れまいと一生懸命あとをついて行きます。リードもつけていないのに、道を逸れたり立ち止まったり、飼い主より前に出たりといったことはまったくありません。

 ときどきその時刻が我が家のウサギの庭遊びと重なることがあって、そうなると鼻の利く犬の本能なのでしょう、さっと気づいて目は釘付けで鼻先はこちらを向いたままなのに、それで止まったり近づいてきたりということもありません。
 近所にはさまざまな犬がいて、たいていはウサギに気づくとこちらにやってくるのですが、この子はまったく魅かれる気配がないのです。
 なんとお利口なのでしょう。

  その様子を見ているだけで、その子の生来の頭の良さ、素直さ、飼い主の辛抱強い躾の姿や愛情が理解されます。きっとものすごく手をかけられているのでしょうね。
「人間は躾け損なっても殺されることはないが、犬は躾け損なうと殺されます」
 これは私が再三引用している、ある「犬の育て方」という本の一節です。最低でも人間に危害を加えないようにしておかないと、犬は苦しい人生(犬生?)を過ごすことになります

 しかし我が家の前を通っていく犬はそのレベルをはるかに越えてはるかによく躾けられていて、その姿はほとんど“美しい”と言っていいくらいです。

【おバカな普通の犬たち】

 翻って、毎朝出会う他の犬たちは何とおバカなことか。

 車が近づいてくると100%確実に吠えて威嚇して暴れまわる犬。私の家の前でウサギに気づくと、飼い主の事情におかまいなしにじっと動かなくなってしまう犬。逆に散歩の間じゅう、好き勝手な方角に行きたがって飼い主を振り回す犬。

 先ほどの
その子の生来の頭の良さ、素直さ、飼い主の辛抱強い躾の姿や愛情が理解されます
を逆手に取ると、
この子の生来の頭の悪さと性格のゆがみ、飼い主のこらえ性のなさやいい加減さが思い遣られます
ということになるのですが、はて、それでいいのか――。

 人間の子どもに生来の性格があって、最初から育てやすい子と難しい子がいるように、犬にだってそういうことがあるのかもしれません。

 

【不合格犬】

 そう言えば警察犬の試験でも合格できない犬がいます。あれは単純なトレーナーの能力差ではないでしょう。鼻が十分に効かない犬もいれば、命令に従うのを厭う気ままな犬もいるのかもしれません。刃物を見ると怖気づいて逃げ出す犬だっているのかもしれない。

 ブルドッグはもともと闘犬としてつくられた犬で、足や尾は短く、鼻も凹んで噛みつきにくい、ほぼ完璧な体型をもって生まれました。それにも関わらず普通のペットとして飼われているのは、要するに気が優しくて闘争本能に全く欠けていたからだと聞いたことがあります。

 あるいは盲導犬になるべく手厚い養育とプロの訓練を受けても、結局、目の不自由な人の下で働けるのは3~4割に過ぎないと言われます。盲導犬なれなかった犬は、キャリアチェンジ犬飼育ボランティアと呼ばれる人の家で(盲導犬としては)残りの余生を過ごすことになります。

 

【結局人間と同じだが】

 警察犬になれなかったから、盲導犬に慣れなかったから、といってダメな犬という訳ではありません。その点で一流企業に入れなかったから、プロになれなかったから、といって人間としてダメなわけではないのと同じです。その方面に向いていなかっただけです。

 しかしだからと言って、やたらと吠えて騒ぐ犬、暴れまくる犬、人に噛みつく犬も、“それは個性だから”といって放置していいわけではありません。
 育てにくい犬、躾けにくい犬だったとしても、それはそれなりに育て、躾けてやらないといけません。でないと悲惨なことになるからです。

 結局、程度の差はあれ、それも人の子を育てるのと同じです。