「金持ちは喧嘩せず、穏やかに人を育てる」~40数年ぶりの同窓会にいってきた2

 当時の大学にはプチエリートの雰囲気があり
 
実際のエリートや金持ちの子弟もいた
 
だからこそ起こる悲喜こもごももあった
 身分違いといってもいいような関係もあったが
 だからこそ学ぶことも少なくなかった
という話。

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【中途半端なエリートの憂鬱】

 私が入学したころ、4年生大学への進学率は現在(2018年度は53.3%)の半分以下の22~23%でしたから、今よりずっとエリートでした。
 
 ただしこの“エリート”には多少の注釈が必要で、ひとつには4年制大学に行くだけの価値があると、自他ともに認める程度の学力があること(自薦可)、そしてもうひとつは子どもを未就労のまま4年間過ごさせてなおかつ生活の援助のできる経済力を持った家の子、という二つの意味が重なります。
 もちろん学費も生活費も自分で稼いで爪に火をともして学問をしようという学生もいましたが、高度成長期の頂点を極めようという時期、そういう真のエリートは少数派でした。

 特に私のように田舎から都会に出て私立大学に進学しようとする者の中には、とんでもないお金持ちの子弟がかなりいて(私は違う)、その暮らしぶりには驚くべきものがありませした。

 言ってみればそれは中高生のころに流行っていた、加山雄三主演の映画「若大将シリーズ」のような世界で、田中邦衛の演じる「青大将」が「ボクのパパは社長!」などとうそぶいてオープンカーを乗り回すのと同じ風景です。
 自分専用の自家用車を持っているなど序の口で、学生結婚をして自分の持ち家から通学している学生の噂なども聞こえてきて、文字通り開いた口がふさがらなかったりもしました。

 

【屈折の原因のひとつ】

 昨日、私は自分の学生生活を振り返って、
なぜあれほどまでに気難しく、屈折した毎日を送っていたのか――
と書きましたが、いくつかある原因のうちのもっともつまらないひとつが、その金持ち問題でした。
 当時8000円の仕送りから4500円のアパート代を払って残りの3500円で生活をしていこうと計画していた矢先、最初のコンパの二次会で会費が2000円もかかったのです。現在の感覚で言えば、一桁上げて計算の合う感じです。

 さらにその二次会で不用意に会話に乗ってしまうと、
「Tくん(私のこと)、車、何に乗っているの?」
とか聞かれてしまい、相手はアウディだのベンツだのといったレベルの話ですから、石丸自転車の「東京号」だとはとても言えず、
「お家は?」
と訊かれて田舎の名を上げると、どうやらとんでもない旧家・大店を思い浮かべられらしく、話がどんどんずれて行ってしまいます。

 それですっかり臆病になって、人と触れ合わず鬱々とした日々を送るようになったのですが、あとから聞けば何かの拍子であまりに場違いなところに行ってしまっただけで、分をわきまえ注意深く相手を選べば何とかなった話だったようです。

 以来、私はできるだけ汚い恰好で大学に出かけ、金持ちに誘われないよう注意深く行動するようになりました。

 

【絶対値の競争と逆ナンパ】

 ちょうど学生運動がグングン下火になって大学の構内からヘルメット姿の汚い男たちが消え、女子学生の服装もガンガン華美になっていった時代です。男子もVANだのJUNだのと爽やかな服装を好むようになり、しかしその中を私はひとりVAN・JUNならぬ伴淳(伴淳三郎という老俳優のニックネーム)並みの汚さで、ひっそりと通学していたのです。

 これを私は、周囲のプラス方向のファッションに対して徹底的にマイナスを追求する「絶対値の競争」と読んでいましたが、理解する人は少なかったかもしれません。

 ある日、校門を出ようとするとそこに附属小学校の女の子たちが数人並んでいて、「お兄ちゃん」と声をかけます。私はうれしくて「なんだい?」と返します。どうやらずっと待っていてくれたようです。
 そして言います。

「あのね、お兄ちゃん」
「お兄ちゃんはどうしていつも、そんなに汚い格好しているの?」

――そのくらい目立っていたらしいのです。


 

【金持ちは喧嘩せず、穏やかに人を育てる(かもしれない)】

 40年余年ぶりの同窓会でそんな思い出話をしていると、けっこうみんな貧乏で、同様の苦労をしてきた話が次々と出てきます。もしかしたら大金持ちの子弟がウジャウジャいたというのは記憶の歪みで、実際のところは私と大差ない学生の方が圧倒的に多かったのかもしれません。
 さらに言えばその日全国から同窓会に集まってきた仲間たちは、ほぼ似たような境遇だったからこそ気が合ったのかもしれないのです。

「だけどなあ――」
と一人が言い始めます。
「あいつら、〇〇とか○○、あの連中はとんでもない金持ちで本当に苦労知らずだったけど、みんな優しくていい奴だったよな」
 すると多くが頷きます。

 そのうち話題は、確認できた中では唯一の物故者であるGの話になります。地方の大都市の材木問屋の息子で、街なかのとんでもなく広い敷地に100坪を越える大邸宅構え、そこに社長としてデンと構えていた30代の様子を、見てきた仲間がいたのです。
 Gがそんな大金持ちだったということは、今回初めて知りました。

 妹のことが好きで好きで、いつも写真を持ち歩いているような男です。気が優しく心配りの行き届いた人物で、顔は鬼瓦みたいでしたがいつも穏やかな口調でゆっくりとしゃべるのが印象的でした。
 5年ほど前に咽頭がんで亡くなったということですが、金持ちの息子だったと知るといろいろなことが腑に落ちてきます。

 もちろん金持ちの子だから幸せ、ということにはなりません。けれどGの場合、金にあくせくすることなく育ったうえに家族にも恵まれたのでしょう。そうでなければあのようなまろやかな人格は育つわけはありません。

 すでに亡くなった人について想うのに、こんな感想も不適切なのかもしれません。しかし少なくとも高校を卒業するまでの間くらいは、人はむやみに苦労することなく、恵まれた暖かな環境の中で育つべきだ、育ってもらいたいものだと、改めて思いました。

 私だってそんなに苦労したわけではありませんが、Gに比べたらずっとさもしく、ひねくれた人生を歩んできてしまったからです。