「家族の一生」

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 娘が結婚式を挙げました。とは言っても半年も前に入籍して同居もしていますから、いまさらの感がないわけでもありません。あの面倒くさい結婚式を、なおもやろうというモチベーションもエネルギーも、私には理解しがたいところです。

 しかし結論から言えば、それでもやる価値はありました。これまでの日々を整理し、意味づけしてひとつ向こうに押しやり(対象化というのかな)、それを基礎に新しい生活を始める――自分の家庭を持つにあたって、それはやはりやっておくべきことのように思ったのです。

  父親としては――これはつい先日、式を挙げたタレント関根麻里の父親(勤)が言っていたのと同じで、“ホッとしました”が正直な感想です。娘を手放す寂しさは6年前、都会に出した時に十分味わいましたので、今さら泣くはずもないと思っていてそれは予想通りだったのですが、 “ホッとした”という安堵感はまったく予想していなかったので、自分でも少し驚きました。それも式を行ってよかったことのひとつです。

 24歳の花嫁です。その年齢は、私にとって特別な意味がありました。6の倍数だからです。

 娘の生まれる前から、私は子を18歳で手放すものだと思い定めていました。ですから6歳になって小学校に入学したとき、「ああこれでこの子と暮らす人生の三分の一が終わった」と思い、4年生になったときは「折り返した」と感じ、中学へ進学したときは「あと三分の一で終わる」と強く意識したものです。ただし最後の三分の一は他の期間よりはるかに短く、あっという間に終わってしまいました。

 18歳の年の終わりの3月31日に、娘を送り出して家に戻り「ああこれであの子は家に帰ってこない」――そう思ったら泣けて泣けて本当に困りました。とても大切なものをなくしてしまったような、なくしたらとても大切だったことに初めて気づいたような、複雑な感情でした。それから6年、娘が生まれて4回目の6年が終わり、娘は他家の人になったのです。

 私の家族は4人です。下の子が生まれて四人が揃い、上の娘が家を出ることで“四人家族”は終焉を迎えました。その間わずか14年です。家族の一生は14年間だけだったのです。

 私が70歳で死ぬとしたら、自分の四人家族で暮らした日々は人生のわずか五分の一ということになります。家族の一生は人の一生に比べたら本当に短いのです。

 もう私の四人家族は存在しません。しかし今、子とともに生き暮らしている方々は、ぜひその“家族の生涯”を慈しみ楽しんでいただきたいのです。困ったことに、子どもはあっという間に大人になってしまうのですから。