【レスリング協会報告書】
先週金曜日、日本レスリング協会は調査を委託した第三者弁護士三人による報告書を公表しました。
その要旨は次の通りです。
<パワハラと認定した事実>
- 2010年2月の合宿で、栄氏は東京へ練習拠点を移した伊調選手を部屋に呼び「よく俺の前でレスリングできるな」と言った。
- 伊調選手は、2010年アジア大会(中国・広州)の選考基準を満たしたが、別の選手が代表になった。
- 2010年9月の世界選手権(モスクワ)の際、宿泊先で、栄氏が男子フリースタイルのコーチだった田南部氏に「伊調選手の指導をするな」と言った。
- 15年2月に行われた男女合同合宿中、協会の指示で別のコーチと2人で京都に指導に出向いた田南部氏に対し、栄氏が外出を叱責。さらに伊調選手の指導に話を移し、「目障りだ。出て行け」と罵倒した。栄氏は別のコーチには何も言わなかった。
<パワハラと認定しなかった事実> - 2016年五輪で、他の2選手が栄氏とともに飛行機のビジネスクラスでリオデジャネイロに向かったのに対し、伊調選手はエコノミークラスだった。→伊調選手は、自費でプレミアムエコノミーに変更したに過ぎず、パワハラは認められない。
- 警視庁レスリングクラブに圧力をかけて、伊調選手が警視庁で練習できないようにした。→伊調選手は警視庁の部外者のため、問題はない。
- 2016年、東京五輪に向けた強化体制として栄氏は強化本部長となったが、田南部氏は男子コーチから外された。→コーチは再任されるものではなく、合理的な決定理由があるのでパワハラとは言えない。
その上で、「栄氏の処分」「内部告発の窓口の設置」「選手とコーチの間の細かなルール作り」「協会役員に外部の人間を多く入れる」等を提案したとのことです。
【ストレスの多い結論】
ざっと読んで、「三方一両損」ならぬ「三方十両損」みたいなストレスの多い結論です。
問題を投げかけた田南部コーチや安達氏にとっては、「伊調馨選手が東京五輪に向けて理想的な練習を始められない」という状況に危機感をもって始めたことですから、警視庁からの排除や田南部コーチの解任の部分がそのままだとすると、何も達成されなかったことになります。伊調選手にとって必要な練習条件がそろわない、その点でストレスです。
栄氏や栄氏をかばった至学館・谷岡学長にとっては、「パワハラの記憶がない」「パワーのない栄の、パワハラというのが理解できない」と突っぱねたにもかかわらず4項目にわたってパワハラ認定されたわけですからこちらもストレス。
ニュースに心を寄せ、耳をそばだてていた国民にとっては、
「まあ“警視庁でやりたい”“男子コーチの田南部氏の時間を奪ってでも教えてもらいたい”は、伊調選手の“ワガママ”ないしは“特別扱い”だから栄氏側に一分の理があるにしても、自分たちはビジネスクラスで、言うことをきかない伊調選手はエコノミーというのは、これからメダルを取りに行こうというとき、日本の至宝に何をしてくれたんじゃ!!」
と怒っていたのが、
「自費でプレミアムエコノミーに変更したに過ぎず」
だとすると、マジに怒った自分がバカみたいでこれまたストレスフルです。
もちろんこれは単なるレスリング協会が雇った三人の弁護士たちの結論ですし、本命は内閣府への告発状であってこちらの判断は改めて出ますが、それにしても、示された内容を考えると今後の職場環境、教育環境、あるいは競技環境に重大な影響が出るような気がして不安に駆られます。
ひとことで言えば、新時代にどう備えていったら良いのかということです。
【パワハラには時効はない】
ひとつはパワハラ事案には時効がないということです。
今回ハラスメント認定を受けた四つの事案のうち三つは2010年のできごと、ひとつが2016年です。その四つを理由に処分妥当ということになると、少なくとも8年前の事案についても私たちは責任を取らなければならないことになります。
そう考えると至学館・谷岡学長の不自然な発言、
(栄氏には)「施設を誰に使わせるかを決める権限がない」「その程度のパワーしかない人間なんです、栄和人は。パワーのない人間によるパワハラとはいったいどういうものなのか、私にはわかりません」
にはある程度の論理性があることがわかります。学長はパワーハラスメントの“パワー”に関して、かなり厳密な枠をはめていたのです。肉体的な力とか精神的な力とかではなく、権限・権力・権勢といった狭い意味でのパワーが「今の栄氏」にはない。それなのにパワハラができるはずがないと言っているのです。
確かに厚労省のサイトなどで見ると、
職場のパワーハラスメントとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義をしました。
(厚生労働省「職場のパワーハラスメントについて」)
ということで、少なくとも同じ職場、同じ組織に属していることが前提です。
今や栄氏と伊調選手の間に師弟関係はなく、栄氏単独で警視庁を使わせない、田南部氏をコーチから外す、といった権限・権力・権勢もないから「パワーハラスメントにあたらない」というのは一つの論理です。
谷岡学長には、告訴状が2年前、8年前の内容にまで含んでいるという認識が甘かったのでしょう。ですから今回、「8年前のことであっても処分するのが妥当」という報告があると黙らざるを得ないのです。そこまで遡れなばいかにもありそうな言動だし、当時の栄氏にはパワー(権限・権力・権勢)があったからです。
その結論に、私のような市井の人間が震えます。
8年前は現職で、しかも管理職でしたから、叩けば何か出てくるかわかりません。
さらに遡って30年ほど前のことまで問われれば、担任している学級や部活の場で相当なことをしていましたから調べられればひとたまりもありません。
暴行罪の公訴時効は3年ですが、パワハラはいつでも追及できそうです。
【怒りをどう表現するか】
第二の不安は、処分の対象となったハラスメントが、私の感覚とかなりずれていることです。
「どの面下げてここにいるんだ」とか「目障りだ。出て行け」くらいは平気で言っていたと思うのです。
「ふざけるな」
「いったいどういうつもりだ」
「何様だと思ってるんだ」
さすがに大人相手には言わなかったと思いますが、子どもに対してはしょっちゅう使っていました。
もちろんそうした自分が不道徳で間違っていると認めるのはやぶさかではありません。しかしなくすことは難しそうです。なぜならこれらの言葉にはほとんど論理的な意味はなく、ただひたすら「怒り」の強さを表現しているにすぎないからです。
「ふざけるな」と言っても本気で相手がふざけていると思っているわけではなく、怒りを伝えやすいからその物言いが使われるのです。ですからそれらがダメだとなると、別の方法を見つけるしかありません。
もちろんそれは不可能なことではないでしょう。
私の元同僚は笑顔の絶えない端正な顔立ちの美人でしたが、子どもが意にそわないことをするときっと唇を結んで目を細め、すうっと視線を外す人でした。それを私は密かに「見捨てるわよ、サイン」と呼びましたが、それくらい恐ろしいサインでした。
別の男性教師は明るくざっくばらんな話し方をする人なのに、怒ると言葉遣いが異様に丁寧になり、下から見上げる感じで話しかけて子どもを震え上がらせる人でした。呼び出しただけで子どもが泣き始め、やっていないことまで自白したという伝説の教師です。
私はどちらもできず、バカみたいに怒鳴ってばかりいましたが、パワハラで訴えられるのは私の方であちらではないでしょうね。
いうまでもなく怒らずに指導できれば一番いいのです。しかし30人以上の子どもを抱えて毎日一緒に過ごす中で、怒らずに指導を続けるのは容易ではありません。もちろんそれができる人はいますし、それもかなりの数いるので困るのですが、私には難しいことだったのです。