「誰もが誰をも訴える、何を言ってもダメ」〜パワハラと指導の狭間で(最終)

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グスタフ・クリムト生命の樹」)

 

カエサルのものはカエサルに】

 いわゆる財務省官僚セクハラ事件に際して、麻生副総理が「セクハラ罪という罪ないですよね」と発言して顰蹙を買いましたが、「だから本人が否定している以上、この先は話し合いか裁判になるしかない」というのは一つの見識かと思いました。セクハラという曖昧な概念に包み込んだままマスコミやネット世論で叩いていた方がいい、というのは私刑の論理だと思うのです。

 

 セクハラの一部は確実に刑法上の問題意を抱えていますからとりあえずそうしたものについては「強制わいせつ罪」や「名誉毀損罪」「侮辱罪」等で対応し、さらに「不法行為による損害賠償」「財産以外の損害の賠償」等々を根拠に賠償請求などを行うよう支援していけばいいのです。財務官僚の事件もは少なくとも「名誉毀損罪」や「侮辱罪」が考慮できたはずです。

 そして法律の枠に収まり切らない内容に関しては、別に考えればいい。

 

 パワハラ問題も同じです。

 女子体操の速見コーチの問題はパワハラか否かといった議論をする前に、とりあえず暴行罪に関わるものとして告発されるべきでした。

 公衆の面前で暴行が繰り返され、協会の指導にも従わなかった、しかし被害者である宮川選手に告訴したり被害届を出したりする意思がないので、協会として無期資格停止の処分にした、というのはかなり分かり易い論理です。

 これだと「あなたこそパワハラです」みたいな話にはなりません。処分が重すぎるかどうかは事実関係を辿って対照すればいいだけのことです。

 

 ついでですが、体罰問題もいじめ問題も、本来は刑法的な判断をすべき部分まで大きく呑み込んでしまうから難しくなる、と私は感じています。

 “体罰”という言葉を使わず 、“暴力”と言うだけで問題の半分以上は片付いてしまいます。

 教育的配慮がどうのこうの、愛情がどうのこうのといった面倒な問題がなくなって、ずっと分かり易くなるのです。「体罰の是非」は今でもときどき話題になったりしますが、「暴力は是か非か」などと誰も言わないでしょう?

 

 いじめも一部は恐喝ですから恐喝事件として処理すればすっきりします。そもそも“いじめ”という曖昧で大きすぎる枠で考えるから難しいのであって、“恐喝”と思えば「なぜやめられないのか」とか「なぜ被害者は標的になったのか」とかはほとんど問題にならなくなります。とても分かり易く、対処もし易いものです。

 もちろん恐喝におさまらない“いじめ”もありますから、それは別に考えます。

 

 

【誰もが誰をも訴える、何を言ってもダメ】――とならないように

 話をパワハラに戻して、

 それでは広く大きなパワハラの概念から、刑法に抵触しそうな内容を抜いてしまうとあとに何が残るか――。

 

 それを厚労省の6類型から拾い出すと、

「酷い暴言」「仲間外し」「無視」「業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害」「能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと」「私的なことに過度に立ち入ること」など、いずれも程度の問題だったり被害者の意識に関わるものであることが分かります。

 こうした、いわば主観主義的なルールないしは規範は扱い方を間違えると大変なことになります。

 

 例えば一昔前ならほとんどおバカな年寄の自慢話としか聞こえない「あのコーチは駄目、だからあなたは伸びない。伸びないのはコーチのせい。私なら速見の100倍は教えられる」といった話も、言った人間と言われた人間、そして状況次第では組織を永久追放になりかねない大問題となってしまうからです。

 

「お母さんが入院されていたそうだけど、どう?」

が、部下を心配する優しい上司の声かけなのか、私的なことに過度に立ち入るハラスメントなのかは気を遣うところです。

 仕事を渡すとき、それが部下にとって「明らかに遂行不能なこと」なのか逆に「程度の低すぎる仕事なのか」、常に神経をすり減らさなければならない職場は不健康です。

 突然舞い込んできた仕事を部下に渡すのは、彼がやっている現在の「仕事の妨害」になるかもしれない、そう考えると何もかも自分でやらなくてはならなくなる。

 

パワハラはなくさなくてはいけない」はもちろんですが、みんながみんな神経質にそれを守ろうとしたら正義は幸せをもたらしません。

 

 

 ちなみに今朝のネットニュースにこんなのがありました。

風呂の湯量巡り父娘殴り合い 暴行容疑で元警察官逮捕

 

 つまらないことから殴り合いになった父娘の娘の方が「DVをされた」と通報したところ、ふたりとも逮捕されてしまったという話です。

 相手が男性でしかも父親(権力者)だからこちらがやり返してもDVになる、そう考えた女性の判断がいかにも現代的です。しかし警察は

「2人がさらなる暴行に及ぶ可能性があるとして逮捕した」

“60歳と28歳の殴り合いは単なる相互の暴行だ”とした警察の判断はやはり常識的なものでしょう。

 弱者は何をやってもいい、力がある者はなにをやってもダメということはないのです。

 

 

 いずれハラスメントの概念もかたまり、意識しなくても互いを尊重し合える時代が来ます。それまでの過渡期、何もかもハラスメントと糾弾することは控え、一つひとつ吟味しながら進めることが大事だと思うのです。

 

                         (この稿、終了)