カイト・カフェ

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「長野の圧迫、リレハンメルの欺瞞」〜冬季オリンピック大会の思い出

 平昌オリンピッも北朝鮮がらみの政治問題にばかり目を奪われて、スポーツ大会としての側面はすっかり忘れ去られていました。それでも一昨日あたりから金メダル予想とかいったごく当たり前の報道も行われるようになり、20年前の長野大会のビデオも、まま見られるようになってきました。 

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【最も思い出深い大会】

 私にとっては特に思い出深い大会で、その前年に大きな手術をしていましたから、これが最後のオリンピック、次のソートレイク(2002年)どころかシドニー夏季大会(2000年)も見られないかもしれない、といった思いで真剣に見ていました。
 けれど真剣ではありましたが案外深刻にならなかったのは、昨日も名前を出した清水宏保里谷多英がともに母子家庭の子だったからです。

 私にはちょっとした信仰があって、大病こそしましたが、私のようにかなり真面目に、誠実に、一生懸命生きてきた人間を、神様が見放すはずはないと思っていたのです。けれどそれにもかかわらず死ぬとしたら、それは私の死に意味があるときだけだ、私の二人の子ども(当時7歳と4歳)はオリンピック選手にこそならないのかもしれないが、きっとすばらしい人生を保証されるに違いない、そう信じていたからです。
 オリンピックはそんな形で、私にも勇気を与えてくれました。

【長野の圧迫】

 さて、そんな思いで真剣に見ていた長野オリンピックですが、中でも目に焼きついて離れないのは、スキージャンプ団ラージヒルの金メダルです。さらにその中でも、三番目にジャンプした原田雅彦という選手には、特に注目していました。

 原田は安定感のないジャンパーで、大飛翔して金メダルをかっさらうかと思うと大失敗して失笑を買うといった浮き沈みの激しい選手で、長野の前のリレハンメル大会では大事な場面で失敗して日本中からバッシングされた人です。
 何しろ普通に飛べば金メダルという場面で、最後の最後に落ちて銀メダルに終わってしまったのですから。

 長野大会でも1回目のジャンプで失速。悪くても2〜3位で2本目に向かう予定が4位に終わらせてしまったのです。
 激しく雪の降り続く中で辛抱強く応援していた応援団の中から、大きなため息の聞こえたような瞬間でした。原田の奥さんはそれまで赤ちゃんを深く胸に抱えて応援していたのですが、その瞬間、静かに会場を去って行きました。その様子は一台のカメラが捉えています。
 そのあとのことは知りません。私も、耐えきれずにテレビを消してしまいまったからです。

 夕方のニュースでみると、2回目で原田がとんでもない大ジャンプを行なって巻き返し、最後の船木和喜が普通に飛んで金メダルに輝いたのです。その船木のジャンプを応援する原田の、「ふ〜〜なき〜〜」という情けない声援は、しばらくたくさんの人に真似されることになります(私も得意でした)。

 原田の奥さんは金メダルの報せを帰りのバスの中で聞いたそうですが、心よりホッとしたのでしょうね。あのときの赤ん坊ももう二十歳を過ぎたはずです。

リレハンメルの欺瞞】

 ところでその4年前のリレハンメルの大失速というのにも複雑なドラマがあって、ほぼ金メダルを手にした日本チームの最終ジャンパー原田雅彦に、「おめでとう、これで金メダルだね」と声をかけた選手がいたのです。もちろんプレッシャーをかけるためです。

 ところがその瞬間、横で聞いていた別の国の選手が祝辞を述べた選手に噛みつきます。
「テメェ、これから飛ぼうという原田にプレッシャーをかけるのか!」

 結局一連の言葉のやりとり中で原田がいちばん動揺してジャンプを誤り、「おめでとう」といった選手も失敗して、最後に噛みついた選手がひとり平然とジャンプに成功して金メダルを持って行ったというのです。

 少し出来すぎた話のような気もしますが、そうした心理戦も、オリンピック観戦の楽しみのひとつとして見ていきたいところです。
 私は気が弱すぎて、とてもではありませんが耐えきれませんが。