カイト・カフェ

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「今の状況では児童虐待を見落とす」~虐待対応の手引きが発表されたが

 もっとも児童虐待を発見しやすい組織が学校である
 したがって教師は 真剣な目で子どもたちを見続けなくてはならない
 しかし現在の状況で
 果たして危うい命をすべて救い出すことができるだろうか
 仕事を増やす一方で人は増やさず
 それで責任を負えというのはあまりに酷だ

というお話

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【虐待対応の手引きが発表された】

 文科省は5月9日「学校・教育委員会等向け虐待対応の手引き」を公表しました。

 これは本年(2019)1月に千葉県野田市で発生した小4女児の虐待死などから得られた教訓をもとに、
 学校や教育委員会等の関係者が虐待と疑われる事案について、迷いなく対応に臨めるよう具体的な対応方法についてまとめました。学校・教育委員会等におかれては、実際の対応の際はもとより、研修の実施に当たっても本手引きをご活用ください。(「学校・教育委員会等向け虐待対応の手引き」-はじめに)
とされるものです。

 内容を見ると、虐待の定義から虐待が子どもに及ぼす影響、学校や教育委員会の役割、日ごろの観察の仕方から通告までの流れ、通告先・通告のしかた、通告後の流れ、子どもや保護者との関わり方、転校・進学時の対応と、実に懇切丁寧でこの冊子に書かれたことをきちんと行うだけで、最低限の仕事は果たせそうです。

 特に「虐待リスクのチェックリスト」は常に心に留めておくに値するもので、「保護者との対応」(保護者からの問い合わせや要求に対して=手引きP34~35)は一読しておいて、いざという時に読み直し、心構えをしておくと面談する際もずいぶん楽な気持ちで接することができると思います。

 ぜひ、ご一読を。
――と、文科省に敬意を表してとりあえず書いておきます。
 

【しかしこれを使うのは大変だ】

 しかしこの「手引き」、中身はなんと37ページもあるのです。

 私は暇人ですので最後まで読むことができましたが、一般の教師にこれ読んで頭に入れろとはとても言えない代物です。

 いったん誉めた「虐待リスクのチェックリスト」ですが、これも内容が細かすぎてかなり強く虐待が疑われる場合に通告先に説明する以外に、これといった使い方が思い浮かびません。そもそもあんなに細かな内容、私などその半分も記憶に留めておくのが困難です。

 さらに心配なのは、野田市で起きたのと同様の事件があった際、「文科省があれほど丁寧なものを出したのに学校は何をしていたのだ」と「手引き」を盾に責められはしないかということです。
「あんな大部のものはとても頭に入りません」
とは口が裂けても言えません。

 マスコミや世間はしばしば忘れてしまいますが、教科をはじめ道徳や総合的な学習の時間、特別活動などの準備や授業をしているだけで、現場の教師はいっぱいいっぱいなのです。

 ほんとうに虐待を(少なくとも虐待死を)なくそうとしたら、中規模以上の学校には最低一人の「虐待問題対応教員」が必要です。朝から晩まで子どもをチェックし、特に心配な子については常に顔色等まで確認し続ける専門職員――。
 
 ところがそんなことを言うと政府が必ずやるのは、現有の職員に研修を受けさせ、肩書を与えて放置するというやり方です。
 司書教諭しかり、特別支援コーディネーターしかり、栄養教諭しかり。副校長でさえ必要とされて配置されたとたんに教頭がいなくなってしまいました。
 統計上は「司書教諭を配置」「全校に特別支援コーディネーターを配置」といっても、実は一部に責任を負わせ、職員はひとりも増えていないのが実情です。
 私の言った「虐待問題対応教員」ですが、早めに取り下げておいた方が学校のためかもしれません。

 しかし、だからと言って「手引き」を取り下げろとか、虐待問題に関する学校の責任を問う名と言う気は毛頭もありません。
 野田の事件を思い出すだけでも、胸が痛み、それは絶対に学校がやるべき仕事だと、私も思うのです。
 しかし、だったら、仕事を減らせ、そういう話です。
 
 

【スクラップ・アンド・ビルトをしない学校は滅びる】

 では学校の仕事で減らせるものは何があるのか。

 こういう話になるとすぐに部活動の軽減といったことになりますが、部活を減らしても虐待の主戦場である小学校の先生が楽になるわけではありません。
 減らすべきは他にあります。

 例えば今、私の妻は教員免許の更新手続きにあれこれ大変な気遣いをしています。定年退職で再任用を受けたばかりですが、10年近く前に別の免許を申請したために来年度が更新なのです。
 その手続き、必要な講座を探して時期をチェックし、通える範囲かどうか他の行事との重複はないか、そうしたことを調べて申し込み、各種アンケートに答えて受講料を払うのはけっこう大変なのです。
 そこまで苦労して受けたとしても、講座がどこまで価値あるものなのか――。
 
 学校教育の知は大学よりもむしろ現場にあります。教員歴40年になろうという妻は受講生としてよりも講師としてその場にいるのがふさわしい――と手前味噌で私は思います。
 40年とは言わず、10年も真剣にやればどんな職にあっても普通は一人前になります。それに教員には更新講習以外に山ほどの研修機会がありますから、いまさら強制的に受けさせる必要もないのです。

 もちろん文科省が、学校法人としての大学を資金面から援助しようとして維持している制度だ、と考えるなら別ですが、医師も看護師も弁護士も行政書士も、およそ「し」とつく資格で10年ごとに金を払って勉強し直しなさいと言われているものは教員だけです。著しく教員の誇りを傷つける制度です。
 こんなものはやめた方がいい。

 他にもやめるべきものはいくらでもあります。
例えばまだ全面実施になっていないから今から引き返せる(かもしれない)小学校英語にプログラミング。

 そう遠くない近未来に優秀な翻訳機がつくられ、わずか25年でコンピュータ自身がコンピュータをプログラムするというシンギュラリティが訪れるというのに、陳腐化することが分かっている技能のためになぜ全児童が学ばなければならないのか。

 そんなムダな教育のために教師の力が割かれ、虐待を疑う目が曇ったらどうしてくれるのだ! と私は思います。
 
「スクラップ・アンド・ビルト」
 何かを壊さずに新しいものをつくってはいけないという重要な言葉です。それをしないから教師は疲弊しざまざまなことが中途半端に終わります。

 ただし私ももう叫ぶのはやめましょう。
 もはや教師のなり手自体が深刻なほどに減っているのです。

 更新講習を受ける教師がひとりもいなくなれば、この制度も自然消滅するのですから。
 もちろん虐待問題に真剣に取り組もうとする先生も。