「いつか分かる日が来る」〜アジの煮つけとブリューゲル②

 先月、東京都美術館ブリューゲルの「バベルの塔」を見に行った件についてはお話ししました。

kite-cafe.hatenablog.com その際は作品「バベルの塔」についてしか話しませんでしたが、私はブリューゲルが結構好きで、特に「ネーデルランドの諺」みたいな人間のごちゃごちゃ描かれた絵が好きなのです。

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 しかしそうした絵が好きになるには、結構時間もかかったのです。

【大人になればわかる】

 ブリューゲルの絵には三つの側面があると私は思っています。
 ひとつは「バベルの塔」に代表されるような聖書にまつわる絵画。
 それから圧倒的に数の多い農民の生活を描いた風俗画。
 そして何とも訳の分からない、怪奇・猟奇画と言っていいような一群(例えば「大きな魚は小さな魚を食らう」)です。

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 その中で私たちが最初に出会うブリューゲルは、昨日の冒頭に掲げた「雪中の狩人」で、私が中学生だった頃から今日まで、ほぼ一貫して学校の美術の教科書に採用されています。
 しかしこの絵、どこがいいと思います?

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 さすがに生きて来た何十年もの間に、たくさんの絵画を見てきた今の私の目には分かります。けれど中学生のころ、高校生のころの私にはまったく理解できなかった、それどころか30歳代、40歳代でもおそらく分からなかった、そもそもブリューゲルには興味を引かれなかった、なぜそうなのか?

 やはりあるものを理解するには、それなりの人間的な熟成が必要なのです。
 食べ物の味が分かるようになるためには大人の舌が必要なように、世の中の大部分のものごとは、一定の年月を経て体の中にため込むものがないと、分からないのです。

 もちろんその人の天分や環境によって十代ですでにビビッと来る人もいれば、何年たってもダメな人もいます(例えば私の舌のように)。

 けれど何らかの理由でその後も美術に接する機会があって、引き続き多くの美術作品に触れ続けることがあれば、普通は、いつかは必ず理解できる日が来ます。
 音楽も文学も科学も、数学も英語も歴史もスポーツも、皆同じです。

【私たちにできること】

 義務教育の中で学ぶものは、ひとつはそれがないと生活が苦しくなるような最低限の技能です。掛け算九九をはじめとする最低限の計算や読み書き、困ったらとりあえず市役所に行って相談するといった程度の社会科の知識、世の中には直接触ったり混ぜたりしてはいけないものや薬品があるといった程度の理科の知識、一日普通に働いて疲れ切らない程度の体力、そういったものです。

 一方、“それがなくてもとりあえず困ることはない”といった余剰の学習もあります。
 美術や音楽などはまさにそれで、絵は略図を描いて他人に説明できる程度でいいし音楽もカラオケで恥をかかずに済む程度に歌えればいい――それ以上は“人生を豊かに生きるため”の余剰であって“なくてもいいが、あればすばらしい”部分です。

 そこについてはとりあえず存在を知って、覚えておけばいい。

 大昔の絵なのにスケートらしい遊びをやっている人がいた、教室の壁に白髪を編んだへんなヘアスタイルの「バッハ」というおっちゃんの絵が飾ってあった、国語の時間に「やまなし」という訳の分からない話を勉強した・・・。

 そして運が良かったら、特別な出会いがあれば、天啓が降りてくれば――覚えていたことはそのとき必ず、意味あることに変化するはずです。

 私たち大人の仕事は、ですから今のあの子たちに理解させることではなく、その脳の片隅に、大切だと思うことをちょこんと載せて、クリップで止めておくことなのでしょう。