義姉が診てもらっている病院は私の家から車で30分ほどのところにあります。義姉自身はそこからまた1時間ほどのところに住んでいるので、ここしばらく、会うのはいつも病院です。ただしこの一か月余り様々な事情があって、先週金曜日は久しぶりに顔を見ることになりました。
恐れていたのとは違い、髪は薄くなったとはいえ病気を感じさせぬ豊かさで、風邪予防のためのマスクを除けば病人らしい様子はほとんど見えません。同伴の義兄もマスクをつけ、ほんとうに若々しく仲の良い夫婦という印象です。
様子を聞くと抗がん剤の副作用はほとんどなく元気とのこと。しかし、
「(腫瘍マーカーの)数値が上がっているのよ」
と少し嘆きます。
他には自分自身、病気を感じるようなものはまるでないとため息をつきます。
順番が来ないので娘のシーナ(義姉にとっては姪)のことや義姉の孫の話だのをして小一時間も過ごし、待たされた割にはあっというまの診察を終えて戻ってくると、
「変わりないって。白血球の値が下がっているから風邪をひかないよう、インフルエンザにかからないように言われた」
何か呆気ない話です。
けれどたぶんこんなふうにしばらくは進んで行くのでしょう。
私は以前、
「若いころの“がん”は『生きるか死ぬか』の二者択一だが、この年で罹ってもそれは『癌か心筋梗塞か脳溢血か長命か』といった四者択一のひとつでしかない、長すぎる長命はむしろ苦痛である」といったことを書きました。
kite-cafe.hatenablog.com その気持ちは今も変わりありません。
先日紹介した文芸春秋今月号『私はこのがんで死にたい』で近藤誠医師も、
直前まで元気で瞬時に死ねたらラクでしょう。しかし、ボケないこともピンピンコロリも、現実にはなかなか難しい。脳卒中や心筋梗塞での突然死を望んでも、生き残ってしまうリスクがあります。脳卒中だと後々、身体が不自由になって、リハビリを余儀なくされることもある。僕自身は、そこまでしていきたいとは思いません。
と言っておられます。
しかしそれらすべては年寄りだから言えること、自分についてだから言えることであって、若い人、他人に対して言えることではありません。ましてや“がん”にかかったばかりの人に「がんで良かったね」とは言えるものではないでしょう。
家族となればなおさらです。
しかし一方で自分のことであれ家族のことであれ、死は身近なところにあっていつでも受け入れ可能なものにしておかなければならないという気持ちは今もあります。
一期一会。
「今日死んでも、明日死なれてもかまわないように、その時その時を生きなさい」
と言われてもそんな厳しい生き方はできませんが、心の隅のどこかに、置いておかなければならないことだと感じているのです。