カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「おめでとう!イグ・ノーベル賞受賞」

 6年前にNHKの「クローズアップ現代」で見て感激し、このブログで紹介(*)したしたころはイグ・ノーベル賞もまだまだマイナーで知る人も多くありませんでした。ところが今や毎年必ずニュースになり、職場や学校で話題になることもたびたびです。日本人も大活躍で、今年で10年連続の受賞だそうです。もっとも過去26年間のイグ・ノーベル賞で、日本人が受賞できなかったのはたった7回だけですから、もはや常連と言うべきでしょう。
(*)kite-cafe.hatenablog.com 今年の日本人受賞者は立命館大学の東山篤規教授と大阪大学の足立浩平教授。受賞理由は「『股のぞき』をすると物の大きさは実際よりも小さく、距離は近くに見え、奥行きがなくなったように感じることを実験によって確認した」ことだそうです。すべてのものが逆さに見えるいわゆる「逆さメガネ」をかけてもこの現象はおきないので、この特異な現象は視覚の問題ではなく体を逆さにする感覚的な部分から生じることも証明しました。しかしそれが何の役に立つのか――。
 そこに実はイグ・ノーベル賞の価値があるのです。

「ポリエステル・綿・ウールでできたズボンがそれぞれラットの性生活にどのような効果を与えるか」
「白い馬がもっともアブに刺されにくい馬である理由と、トンボが黒い墓石に引きつけられて激突死する理由」
 あるいは、
「体の左側がかゆいとき、鏡を見て右側をかくとかゆみが治まることを発見」
「その時々にアナグマ、カワウソ、シカ、キツネ、鳥となって大自然で生活した」

「両手足に装着してヤギそっくりに歩くことのできる装具を製作して、ヤギの群れに交じって野山を放浪して過ごした」(以上、いずれも今年の受賞者の受賞理由)
等々、どれも「何の役に立つのか」「どういう意味があるのか」と問いたくなるような内容ばかりですが、しかし「何の役に立つか」と聞いたら科学は発展しないという事例は山ほどあります。

 例えば、
「アンペア」で知られるフランスの物理学者アンドレ=マリ・アンペールは電流と磁場の関係を発見した夜、感激のあまり、もう眠っていた助手を叩き起こして現象を見せます。すると助手は「先生、確かにその現象は分かりました。でもそれが何の役に立つのですか?」と訊いて師匠から激怒されます。
「『何の役に立つのか』と聞いたら科学の発展はない!」
 言うまでもなくアンペールの発見がなければ人類の近現代社会はありません。

 何の役に立つのかわからないイグ・ノーベル賞に日本人受賞者が10年連続。
 主催者のひとりマーク・エイブラハムズ氏はこんなふうに言っているそうです。
「日本はイギリスと並んで、ほかの国だと排除されてしまうような、本当に突拍子もない研究が次々と出てくる国だと思う。ほかの人と全く異なる発想の研究を尊重する風土があるのではないか。これからも突飛な研究をどんどん生み出して欲しい」NHKニュース
 日本人が日本人について語るとき、常に言われるのはこれと反対のことです。
(日本人はひとと同じであることを好み異質を嫌う。少しでも自分たちと違うものは排斥しようとする)

 どちらが正しいのかわかりません。しかしこんなユニークな研究ができるのも日本らしさのひとつなのかもしれません。
 アメリカの産学共同体のように「企業が金を出し大学が研究する、研究成果は企業が吸い上げる」という方式を取るとどうしても短期的に収益を生み出す研究が中心になってしまいます。
「笑いを誘うとともに、考えさせられ、つい友だちに話したくなるイグ・ノーベル賞」にうつつを抜かしている日本――それがきっと日本の科学技術の奥深さをつくっているのです。

 ところでこのイグ・ノーベル賞と本家のノーベル賞、ふたつとも取った受賞者はいるのかというと実はひとりだけいるのです。
 ロシア生まれのオランダ人物理学者、アンドレ・ガイム博士は2000年に「カエルの磁気浮上」でイグ・ノーベル賞も受賞し、2010年に「炭素新素材グラフェンに関する革新的実験」でノーベル物理学賞を受賞しています。
 その点からしても、イグ・ノーベル賞が単なる“おふざけ”でないことは明らかです。