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「ノーベル賞と日本」~根岸・鈴木両教授のダブル受賞を機に調べ直した

 昨日の朝お話すればタイムリーだったのに一日遅れてしまいました。せっかくのダブル受賞ですので、ホットなうちに子どもたちにも話しておけば良かったのですが。

 せめてノーベル賞が世界最高峰の賞であることや、ダイナマイトの発明者であるノーベルの遺言によって、物理学、化学、生理学医学、文学、経済学、平和の6部門で世界的な働きをした人に与えられるものであることぐらいは話しておきたいものです。

 ノーベルは遺言として自分の財産を管理する組織をつくり、そこで生み出した利子を前年までに世界的な働きをした人に送るよう言い残しました。それがノーベル財団で、現在の賞金は各賞それぞれに約1億円だそうですから、ノーベルの遺産というものはとてつもない量であったことがうかがわれます。
(ただし「経済学賞」は1968年に設立され、その原資はスウェーデン国立銀行基金によるものです。そのためこの賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」といい、厳密にはノーベル賞には含めない場合も多いそうです)

 私の子どものころは、ノーベル賞と言えば湯川秀樹、日本で唯一の受賞者で日本で一番頭のいい人、そんなふうに思っていたものです。なにしろ湯川博士の受賞から次の朝永振一郎の受賞まで、16年もかかっているのです。

 では翻って最近16年間に日本人でノーベル賞を受賞した人は何人いるかと言うと、1994年の大江健三郎文学賞)から一昨日の二人も含め、11人もいるのです。さらに今回有力とされたiPS細胞京都大学山中伸弥教授やカーボンナノチューブ信州大学遠藤守信教授、いずれは確実に文学賞を取ると言われている村上春樹など、候補はいくらでもいます。

 なぜ急にこんなに取れるようになったのかと言うとそれには理由があるのです。ノーベル賞は政治的配慮の動く平和賞を除くと、研究成果が10年20年と時間を経て、それが絶対に間違いのないものであり、確かに人類の発展に寄与したと認められて初めて、授与される賞だからです。今回受賞の対象となったクロス・カプリングも1979年の発明だと言います。その前の下村脩さんの緑色蛍光たんぱく質は1962年、南部洋一郎さんの弦理論(ひも理論)が1970年、小林・益川理論は1973年。つまりこの時期の日本の研究が非常に充実していたと言うことです。

 国別のノーベル賞受賞者数で日本は17人で世界第8位(自然科学3部門に限れば14人で7位)です。アジアで言うとイスラエル8人、あとは韓国、パキスタンバングラディシュ、パレスチナ、インド、ベトナムミャンマーがそれぞれ一人ずつとなりますが、自然科学3部門に限るとイスラエルの2人、インド・パキスタンそれぞれ1人だけになってしまいます。

 すでに先進国の仲間入りをしている韓国、日の出の勢いの中国・インドに受賞者はいなかったり、いても一人だったりするのも、20〜30年前、これらの国々は政治的経済的に苦労している時代で、まだまだ研究に十分時間や予算を割けなかったからだと言えます。

 ノーベル平和賞はちょっと困った賞です。日本人では佐藤栄作元首相が「非核三原則の提唱」で平和賞をもらったと言えばそれだけで首が傾がります。1991年のアウンサン・スー・チーミャンマー)はこのタイミングでノーベル賞を与えなければ殺されてしまうといった時期での受賞でした。1994年のアラファト、ラビン、ペレス(いずれもパレスチナ問題の当事者)、この3人から平和をイメージするのはなかなか困難です。極めつけは2009年のバラク・オバマで「核のない世界」への包括的構想の発表から約半年後に、まだ何もしていないのに受賞しています。

 二度受賞、三度受賞、夫婦・親子・兄弟での受賞者、最年少受賞者等、調べてみると面白いことがたくさんあります。