カイト・カフェ

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「原初、私は天才だった」~誉められたい、感謝されたい、すごいと言われたい①

 若いころの私は有名になることばかりを考えていた。
 自分はそれができる天才だと思い、努力もしなかった。
 やがて等身大の自分を目の前に突きつけられ、
 普通人としての人生が始まった。そして失ったものがある。
 という話。(写真:フォトAC)

【40年前、私は天才だった】 

 子どものころ、私は自分のことを天才だと思っていました。ただ、天から与えられているはずの才能がどういう方面のものなのか、それが分からず苦しんでいました。ありていに言えば自分は「ひとかどの者」であるはずだが、何者かは分からないといった状態だったのです。

 何の根拠もないのに異常な自信を持った青年――そんなものはありふれていて、おそらく昨夜もどこかの居酒屋か何かで、「オレは、やるよ」「いつかドーンと見返してやる」と、酔いに任せて偉そうな口ぶりで友だちや後輩や恋人にぶち上げる若者はひとりやふたりではなかったはずです。かつての私も、口には出しませんでしたが、そうした青年のひとりだったのです。

 そのころ私の頭に会った未来の自分は、あるときは東山魁夷平山郁夫クラスの画家であり、ある時は阿久悠なかにし礼といった売れっ子作詞家であり、またあるときは、村上龍村上春樹にこそ先を越されたものの、世間を震撼させる才能あふれる小説家でした。スピルバーグやルーカスを凌ぐ映画監督だったり、ボブディランやビリー・ジョエルのような歌手だったりした時もあります。

 ではそうなるためにどんな努力をしたのかというと、実効的な意味ではほとんど何もしませんでした。いまで言うタイパ(タイムパフォーマンス)を考えた結果で、実は小説家になるべき天才なのに、画家を目指して時間を浪費するといったことを恐れたからです。
 あっちを少しかじるとこっちが気になり、こっちに熱中していると“本当はこれじゃないのではないか”と怯え、ふらふらしているうちに若い時はあっという間に過ぎてしまったというわけです。
 気がつくと30歳は目の前で、友だちはみんな就職をして真っ当な道を歩き続け、結婚して父親となった者も少なくありません。家庭に忙しく、もう誰も遊んでくれなくなっています。

【不思議な同世代の人々】

 私はそんなふうでしたが、周囲はむしろ堅実でした。特に同世代の女の子たちは16~17歳のころから手堅い位置に目標を定め、着々と歩みを進めているかのように見えます。まだ女性が4年制大学に進学するにはそれなりの実績や説明が必要な時代いでした。早い段階から腹を決め、周囲を納得させなくてはならなかったのでしょう。
 彼女たちが「私は出版社に勤めたいから文学部へ進む」とか「教師になりたいから教育学部に行く」とか、そんなふうに堂々と言うのを聞いて私は眩しいものを見る思いでいましたが、同時に、この人たちはなぜサラリーマンや教師といったちっぽけな夢で満足できるのかと首を傾げていたのですから度し難い話です。
 私がやってきたことは、他の人たちが18歳までにやってきたことを30歳までできなかったというだけのことでした。タイムマシンがあって過去に戻れるなら、一番やりたいのは18歳の自分に会ってぶん殴ることだといつも思うのは、そのためです。

【等身大の自分を受け入れる】

 私はやがてすべてを棄て、都会を離れて田舎教師として歩き始めました。それまでは自分に対する思いが強すぎて、何を考えるにも超一流しか頭になかったので、投げ捨てるときはむしろ潔かったとさえ言えます。
 日本の中央で頂点に立つ覚悟はあったのに、地方で名士になるとか、地方を足掛かりに中央に上っていくとか、そういったことはまったく考えていなかったので、未練はなく、それからは自分の足元だけを見て、地道に人生を送ってきたのです。

 それは別の言い方をすれば「(何もない)等身大の自分を受け入れた」ということです。何もないから足場固めから始めるしかなく、高いところを見ることなく、一つひとつ積み上げていく――実際にやってみると案外自分には向いた生き方でもありました。
 そう考えると30歳で方向転換ができたことはむしろ幸いで、私が満足できる人生を送るにはそれがギリギリの線だったようなのです。

【誉められたい、感謝されたい、すごいと言われたい】

 30歳で傲慢な夢を棄てると、同時に失ったものがあります。それは喝采や賞賛への渇望です。
 「誉められたい、感謝されたい、すごいと言われたい」と三点セットのように私は言いますが、手に入れたかったのは超一流の人間として誉められることであり、超一流がその技術で何かを施すことで得られる感謝であり、超一流という枠の中での”凄い“という評価です。もちろん一般人としての私でも「ダメなヤツ」「できないヤツ」と思われるのは嫌ですから、仕事もしっかりやろうとしますし私生活もきちんとしたいとは思いますが、誉められたり感謝されたりすごいと思われるために努力するとか身を削るとかいった気持ちはまったくありませんでした。ことがうまく運べば達成感もありますし自己効力感もありますが、誉めるのは自分ひとりでかまわなかったのです。

 しかし私が空疎で傲慢な野望とともに捨てることのできたこの三点セットのために、長い人生をいつまでも苦しんでいる人は意外と多いものです。

(この稿、続く)