カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「父親が娘に伝える性教育」②

(3)男なんて10人中8人は似たようなものだ。

 この国にいる限り(というのも外国の事情は分からないけど、という程度の話だけど)、とんでもなく素晴らしい男も、とてつもなく悪い男もそれほど多くいるわけではない。
 ああすごい、これは間違いなくいい、と言えるような男の子は多く見積もっても10人に1人、こいつは悪い、だらしない、ダメだという男の子も多く見積もって10人に1人、そんなものだろう。
 シーナがその“素晴らしい10人に1人の男”にふさわしい“10人に1人の女性”、に育つ確率も十分の一、相手も十分の一の男だから二人が結ばれる確率は百分の一だ。目指してもいい可能性だが、だったら他のことを考えた方がいいかもしれない。

 とりあえず10人に1人のワル(ないしはダメ男)は慎重に避けるにしても、上位10%と下位10%を外した残りの80%、つまり10人中の8人を考えると、これはもう似たようなものだからあまり深刻に考え、見比べる必要はない。
 1個100円のキャベツと110円のキャベツの味の違いを見極めようとするのは意味ないことだ。あまり神経質にならないように。
 ただし次のようなことは言えると思う。

(4)良い素材を得て育てる。

 父が中学校の教員となったとき、先輩から教えられたことのひとつは、
「中学校は女の子を育てるところ」
ということだった。その先輩の言うには、
 女の子の養育というのは15歳が限度なんだ。15歳の時に曲がってしまった女の子はまず戻らない、15歳の時きちんとしている子は容易に崩れない。しかし男の子は違う。15歳の時曲がっていても男の子なら更生の道筋は残っている、その代わり15歳でいい子を育てたつもりでも全くアテにならない。例えば二十歳くらいの男の子と女の子を見てごらん、
 女の子は良くも悪しくも大人で、そう簡単に変わりそうにないのに、二十歳の男なんてまったく頼りなくていくらでも育てようがあるし育てて行かなければいけないだろ?
 それについでに言えば、中学校のクラスで女の子たちが、「男は少しくらい腐っていた方がおいしい」なんて言い出したら男の子はみんな腐ってしまう。その代わり女の子たちが「男はやっぱ誠実でまじめでなくっちゃ」とか言い出したらクラスの男の子はみんなピシッとしちゃうよ。その意味でも、中学校は女の子を育てるところなんだ。

 後半も面白いけど、いまシーナに言いたいのは前半の、二十歳代の男の子なんて“いくらでも育てようがあるし育てて行かなければいけないという部分だ。
 10人に1人の完成された男性もいいけれど、それだとなかなかシーナ仕様にカスタマイズできない、むしろこちらから合わせて行かなければならなくなる。しかし10人中8人の、普通の男の子なら、いかようにも教育できる。
 自分にとって理想的な恋人、夫、そして子どもの父親、そういうものを思い描いて、そこから逆算し、そうなりそうな素質を持った男の子――つまり素材を探し出してゆっくり育てる、その方がよほど楽だしうまくいくに違いない、父はそんなふうに思うのだ。

 もちろん恋は盲目、それとはまったく違ったタイプを好きになるかもしれない。しかしその場合は、理想の夫、理想の父親と暮らすのとは、別の未来が待っていることになる。そういうことなのかもしれないと、覚悟しておくことも必要なのかもしれない。

(この稿、続く)