カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「昭和の風景」③

 ケンちゃんは何でも知っていましたからさまざまなことを教えてもらいました。メンコの遊び方だとかコマ回しだとか、かくれんぼうでもカンけりでも何をやってもうまいのです。
 小学生になるとケンちゃんはお父さんの自転車を引っ張り出して、それを乗りこなして周囲を驚かせます。当時、子ども用の自転車などありませんでしたからたいていは母親の自転車(今で言うママチャリ)の立ちこぎでしたが、ケンちゃんのは大人の男性用ですからあのひし形のフレームの中に半身を突っ込んで自転車を斜めに傾けたまま走るのです。今から考えてもものすごい技術でした。
 また、ケンちゃんはとても悪い子でしたから、自転車用のポンプで水をまき散らす方法を発明したり、池の鯉を捕まえでいじめたりするやり方、女の子をだましてお医者さんごっこをする方法なども教えてくれました。
 今はどうしてそういうものがなくなったのか不思議なのですが、当時は水田に“スズメ脅しのテープ”というものがあって、赤と銀の表裏のテープがよじって何本も並べられていました。それを盗む方法もケンちゃんが教えてくれたことです。
「伏せろ!」と叫ぶので何のことか分からずボーっと立っていたら近くの小母さんに私だけが捕まってしまい、長いお説教をいただいたこともあります。私はケンちゃんの名前だけは出すまいと頑張りました。けれど小母さんは共犯者の存在に気がつかなかったのか一言も聞いてくれず、それで言いそびれたという面もありました。

 しかし私が学びそびれたこともあります。私たちは新開地の第一世代の子どもですから、先輩の知恵とかいったものとは無縁だったのです。
 数年後、家族は別の土地に引っ越し、私の弟はそちらの地域子ども社会に属することになったのですが、弟の学んでいたのはさらに豊かなものでした。
 それは隠れているカエルの追い出し方だとかカブトムシの匂いのたどり方、手作りの道具で釣りをする方法だとか、川魚の追い込み方とかいったものです。
 新参者のくせに、弟はやがて地域のジャイアンに成長していきます。優秀な学習者だったということでしょう。

 私はケンちゃんを通じて、自分より強い者、ワガママな者に対する対処の仕方も学びました。
 ゴマの擦り方だとか口の利き方、大切な何かを獲得するために予め別の何かを与えておかなければならないこととか、予防線を張ることとかいったことです。リーダーシップの取り方は学びませんでしたがナンバー2の生き方には精通することができました。
 授業料はけっこう高くて痛い思いや辛い思いもしましたが、得たものは非常に大きかったはずです。

 秘密基地をつくったり花の蜜を吸ったり、クローバーの花をつくったり、今の子どもたちはそれらを「生活科」の時間にやっています。もちろん盗んだりイジメたり小動物をいたぶったり友だちとケンカしたりといったことは厳しく制限されていますが。

(この稿、続く)