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「マドロスはなぜ愛しながら別れたのか」~歌謡曲考①

 88歳の母が歌番組を見る関係で、私もしばしば歌謡曲を聞くことがあります。しかしこの世界、昭和生まれの私にもよくわからないところがあります。
 つい先日聞いた曲は、
『遠い異国の酒場で一人、男がグラスを傾けている
 すがりつく女を振り捨ててきたが、今はその娘が愛おしい』
といった歌詞だったのですが、これがさっぱり分からない。好きでもない女性を置いてくるなら分かりますが“愛おしい”ような女性を振り捨ててきたのはなぜか? なぜ外国にいるのか、なぜひとりなのか?
「おまえ、スパイか?」
 というような話です。
 昭和の歌謡曲には常にこうした分からなさがつきまといます。

「愛しながら別れて・・・」は歌謡曲の常道ですが、なぜ愛し合う二人が別れなければならないのか、詳しい説明のある曲はほとんどありません。さらに分からないのは昭和30年前後に流行した「マドロス物」と呼ばれる分野です。

マドロス」自体がすでに死語ですから調べなおさなくてはならないのですが、「水夫」「船員」「船乗り」を表すオランダ語だそうです。ただし歌謡曲の世界で、「船乗り」ではなく「マドロス」というときは暗黙の裡に「外国航路の」、しかも多くは「貨物船の船員」にかなり絞られてきます。大型客船の乗客係ではダメなのです。

 一般には「まだ庶民にとって外国旅行が夢だった時代、マドロスはひとつのあこがれの職業だった」みたいな説明がされますが、どうでしょう。私などのように山国育ちだととてもではありませんが「あこがれ」というわけにはいきません。もしかしたら都会の子どもたちにとっては憧れだったのかもしれませんが、子どものあこがれをレコードにしても、大した儲けにはならないはずです。
 と、ここまで書いてきてはたと気づくことがあります。マドロス物の歌謡曲が売れるとき、誰がレコードを買い、あるいはラジオや有線放送にリクエストしてくれるかということです。

 昭和30年代、レコードは非常に高い買い物でした。大卒の初任給が2万円ほどの時代にLPレコード(アルバム)は2000円もしたのです。現代に置き換えるとCDアルバムが1枚2万円という勘定になります。
 そんな高価なものを買える人は限られています。
 最先端の音楽に興味のある人でお金持ち、そして日常的に音楽のある生活をしている人。しかもある程度人数が揃わなくてはなりません。そう考えていくと、思い当たるのはバーやクラブ(今のクラブとは違う)のホステスさんです。この人たちならそこそこの小金持ちですし多くは若い。しかも店内には常に音楽が流れていて客はしばしばリクエストをしたりする。

 客層は、基本的には社長さんだの部長さんだのということになりますが、時に、不似合いなほど若い連中が入って来ます。それが船乗りたちです。
 なにしろ一年のほとんどを船上で暮らすこの人たちは、高収入なのに使う時が少ない。そこで短い上陸期間には派手に金を使う、恋も芽生えるということになるのではないかと想像するのです。

 はじめに上げたスパイもどきの歌もこうした時代の名残りでつくられたもので、彼は外国航路の船乗りなのでまともな結婚生活はできないと決心して女性と別れてきた、けれどやはり恋しいという歌なのです。

 だれがレコードを買いリクエストしてくれるのか、そう思って見てみると、昭和歌謡史もなかなか面白いものがあります。

(この稿、続く)