「昭和歌謡の歌舞伎化」~歌謡曲考②

  江戸期、歌舞伎は時代の最先端にいました。時間的なラグは大きいものの、「仮名手本忠臣蔵」も「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」も実際の事件に取材した再現ドラマの要素を持っています。ところが、明治に入って西洋の演劇が流入すると進歩を止め、歌舞伎は突然、様式化を始めます。もちろん新作歌舞伎という分野は残りますが、根幹は様式美を追求し芸術に高められて行くのです。
 歌舞伎に代わって演劇界の中心に座ったのが新劇です。しかしこれも今や時代の最先端を求めるのではなく、有名な戯曲を極限まで追求するというふうになっています。杉村春子女の一生」947回、森光子の「放浪記」2017回といったのが代表です。

 芸術はしばしばそんなふうに時間軸を走る歩みを突然止めて、地下に潜るように深化を始めることがあります。昭和歌謡もそれに似ているかもしれません。もはや歌謡ショーなど私ですらウンザリですが、今も一定のファンを持ち、マドロス物や股旅物などが追求されているのです。歌詞としては昭和40年前後で完全にストップして時代性を失い、しかし繰り返し同じ題材が使われます。
 昭和30年代から40年代にかけて銀座や赤坂を主題に歌われた歌は、思えばほとんどがホステスさんの不倫の歌で、だから「愛し合いながらも別れ」たり「北の宿」に感傷旅行に出たりしなくてはなりませんでした。今も彼女たちは故意に胸を焦がしたり傷心旅行に出かけたりしています。
*ちなみに、愛人から送られてきたセーターなど家で着るはずもないと承知しながら、なおも編んで贈ろうとする女性の姿あまりにも鬼気迫る感じで、源氏物語の「六条御息所」を思い出したりしますした。男としてはかなりビビります。

 しかしそれにしても昔のレコードは高かった。
 昭和歌謡ののちグループサウンズが流行し、フォークソングブームが来て、ニューミュージックの時代が来てもおいそれと買えるものではなく、たとえば私のアパートの二階の大学生は、ステレオセット(と当時は言いました)を買ったはいいがレコードは一枚しか買えず。朝から晩まで何回も何回も、一か月も二か月も、ひたすらカーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」をかけるので、おかげで私はすっかりカーペンターズが嫌いになったほどです。
 音楽はテレビの歌謡番組で見るか、ラジオからカセット・テープにダウンロード(とは言わず、当時はエア・チェックと言った)したものを聞く時代でした。カセットテープという小型のメディアはとんでもなく発達し、FMラジオから録音すると、そこそこいい音で音楽が聴けたのです。高価なレコード・CDにあえて手を出すほどのことはなかったのです。

 したがってレコード・CDの売り上げは必ずしも曲の人気を反映するものではありませんでした。もっぱらそれはベストテン番組やリクエスト番組によってはかられるものであって、だから当時は「歌謡・ベストテン」だの「ヒット・バラエティ」だのの音楽番組が全盛だったのです。
 ところが70年代後半、ここに音楽史上稀有なとんでもない巨星が出現します。音楽業界を引いては芸能界を一変させたという意味では、プレスリービートルズを上回る存在、それがピンク・レディです。

(この稿、続く)