カイト・カフェ

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「手は洗わない方がいい――らしい」~研究授業と手洗い・歯磨き・インフルエンザの話②

 私が関わった授業研究の中で最も面白かったのは、都道府県レベルの保健教育の研究でした。題材は何でもいい。とにかく子どもの保健意識を高め、ひとつでも体にいいことをやり始めるように仕向ける、それができたら授業は成功したということになリます。そこでまず題材を何にするか、先生たちに問いかけます。

 栄養バランスを考えた食事はどうかとか、規則正しい生活はどうかとか、いや歯磨きだ、手洗いだとやって行くわけですが、頭の隅には常に「それって家庭科じゃない?」とか「保健体育の体育に傾き過ぎじゃない?」とか、あるいは「授業のかたちになるのかな」といったことが渦巻いているわけです。例えば3時間の単元で授業を始めたはいいが落としどころがない、といったことにならないかということです。
 その結果というか、どういう経緯でそうなったのかは忘れてしまいましたがその時勤務していた小学校の実態からして、どうやら「手洗い」あたりが感触がいいのではないかということになり、全員で調査活動に入ります。現在だったらほぼ間違いなく全員がネット検索に走るところですが、20年近く以前のことですからそうはいきません。書籍に当たったり養護教諭に聞いたり、医者に知り合いがいればそちらに問い合わせたりといったことになります。そしてその結果は、散々なものでした。

 分かったことはまず、私たちのやっている手洗いというのは衛生面から言えばまったく意味がないということ。中途半端な手洗いは、爪の間の汚れを適度にほぐして雑菌の繁殖を促進してしまうこと。
 きちんとした手洗いというのはテレビで見る外科医が手術前にやるように、袖を肘までまくり上げて石鹸をたっぷりつけ、爪で汚れをがいがいと引きはがすようにやるものであること。しかしそこまでやってしまうとかえって危険で、外科医的手洗いは日に何度も繰り返さなければならないこと、などです。

 手や顔の表面には表皮ブドウ球菌黄色ブドウ球菌など無害な雑菌がいっぱい繁殖しているのだそうです。これを常在菌と言います。外科医的手洗いは当然この常在菌もそぎ落としてしまいますがそうなると手は一種のノーマンズ・ランドになってしまうわけです。
 皮膚の表面にも先住権があって常在菌が繁殖している限り、他の菌の入り込む余地はグンと狭まっていたはずなのに、先住者を追い払うことで今度は有害な菌やウィルスの絶好の繁殖地になってしまうのです。
 そうならないためには外科医的手洗いを何度も繰り返さなくてはなりません。

 さらに別の先生はこんな情報も持ってきます。
「そもそも誰が触ったか分からないドアノブや手すりに常に触れている手と、(男性の場合)一日中パンツの中に納まっていたもとどちらが汚いのか。その観点からすれば、トイレに入る前にこそ手洗いすべきだ」
 何か妙に説得力のある話でした。

 またアンケートを取ったら大人でも手洗いで菌やウィルスが落ちると考えている人は少なく、大半は「人が見ているから手を洗っている」「不潔と思われたくないのでやっている」という程度のことでした。要するに、これまでかなりいいかげんな手洗いで済ませてきてしかも困っていない、だから必要感がない、その程度のことなのです。

 せっかく時間をかけて授業をしたところで「毎回トイレに行くたび帰りがけに外科医並みの手洗いをする」、そんな子どもを育てられるはずもなく、そんな異常潔癖の子を育てていいはずもありません。せっかく苦労して調べたのに、手洗い説はここで頓挫しました。

(この稿、続く)