カイト・カフェ

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「ノロ考 1」~ウイルス対策がウイルスを広げる

 浜松市ノロ・ウィルス中毒は最初から不思議な事件でした。
 センター給食でもないのに十数校にまたがり1000人以上の発症者が出たということ――そこですべての学校に共通する食材が疑われるわけですが、発注は学校ごと行われ、同じものが使われた様子がない。そこでまた首をかしげるわけです。

 原因がパンと分かってそれで一応納得します。しかし少なく見積もって2千数百枚(一人2枚×人数分)の食パンの、すべてにノロ・ウィルスが付着するという状況が思い浮かばない。
 スライスしたパンを一塊にして、ビニルで包んだ上に箱詰めにして配給したとのことですが、だったらパンの両端とその付近だけにウィルスが付着し、中心に近いところは無菌でなければならない。それがすべてのパンに広がっていたとなると、ビニル袋の中でウィルスが繁殖し、移動し続けていたと考えるしかない。けれどいかに強力なウィルスとはいえ、繁殖はともかくパンの両端から一晩の間に中央まで動いていくなどと、とうていイメージできません。従業員が素手でパンに触っていたと言うのもなんとも気分の悪いものです。

 20年近く前の堺市のO−157食中毒事件(平成8年)以来、学校給食の現場ではほとんど芸術的なくらい厳密な衛生管理が行われ、それに連動してパンや牛乳の納入業者にも同様の対応が求めれたはずです。それがなんともずさんな・・・と、それが一昨日までの理解でした。ところがそれはとんでもない思い違いだったのです。パンの納入業者である『宝福』は、現在の日本で考えられるほとんど最高の衛生管理を行っていたのです。

 昨夜のニュース・ウォッチ9によると、例えばトイレの入り口は全自動の扉で、便器のフタも自動的に開閉します。手洗いの水道も自動水栓で出口では所定の消毒作業を行わないとドアが開かない仕組みになっています。もちろん手袋は使用し、異物混入など間違いがないよう、食パンは一枚一枚検査してから袋詰めするようになっていました。
 そこまで徹底した衛生管理が行われていたことにまず驚き、それほどの監視の目を潜り抜けたノロ・ウィルスというものにも改めて驚かされます。しかしそれをどうやって掻い潜りぬけたのか。

 結論から言うと、ウィルスは手袋に付いていたのです。
 工場に入ってからの従業員の手洗いが不十分だったというのが第一段階です。石鹸をたっぷりつけ、手の皺や爪の間、爪のふち、手首と、人間の手術並に丁寧に洗う必要があった――それが不十分だった。そしてその手を使って手袋を装着した、それが第二段階です。
 困ったことに薄い手袋は手を突っ込んだだけではきちんと装着できないのです。右手からはめるとしたら、素手の左手をつかって引っ張ったり詰めたりしなければならないのです。そのときおそら)く、表面にウィルスが着いた――。
 そしてその手袋で、“食パンの一枚一枚を調べる”という丁寧すぎるほどの衛生管理をしたために、ウィルスはすべてのパンに押し付けられる結果となったのです。
 それにしても作業の終盤では手袋のウィルスはほとんど残っていなかったはずなのに、それでも子どもたちを発症させるだけの力を持っていた、まさにノロウィルス恐るべしといったところです。

(この稿、続く)