カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「第四の人生」~社会にも家族にも貢献できなくなってからの老後

 87歳の母が昨日、同い年の友人を施設に見舞いに行ったようです。母はそこそこ元気ですが、“友人”はすでに両眼が見えず、音がうるさいとラジオも聴くことなく日々暮らしているようです。会って話を始めたのはいいのですが、涙、涙でさっぱり会話が前に進まなかったと言います。
 その方の夫にあたる人も存命で、足腰もしっかりしているのに痴呆が進んでひと時も目が離せない状態だと言います。いずれにしろたいへんなことです。

 私の親族は皆長命です。叔父たちはだいぶ亡くなりましたが7人の叔母は全員存命で、そのうち血の繋がりのある5名は全員が母より年上ですから凄いとしか言いようがありません。ときどき電話で連絡を取り合っているようですが、うっかり間が空いたりするとずいぶん気を遣うみたいです。「もう三週間前から意識がない」みたいな話になると困るのです。

 だったらせめて週に一回くらいのペースで連絡してみたらとアドバイスすると、「それも安否確認みたいでねェ」と渋ります。
「年を取ると話すこともないんだよ」
 確かにそういうこともあるかもしれません。
「あっちが悪い、こっちが悪い、あれができなくなった、これもできなくなった、そんな話ばかりで、ちっとも楽しくない」
 それもそうだ。
「〇〇姉さん(最年長の叔母)なんか電話をするたびに、“まだ死ねないんだよねぇ”だもの」
 それも辛い。
 90歳すぎて体調も悪く楽しいこともないとなれば「まだ死ねない」も何となく理解できます。現在の私だって行く先を考えると気が重くなるのですから。

 結婚式で「第二の人生」と言われ、定年退職で「第三の人生」とおだてられ、それから20〜30年後、孫世代も育ち切って家庭的にも社会的に必要とされなくなくなってなお生き続ける「第四の人生」――それをどう生きていくか。
 母からもよく相談されるのですが、うまく答えられません。そのための指南書も見たことがないような気がします。いったい昔の人たちはどうしていたのだろう。
 そう考えて、天寿を全うした(と思われる)女性の没年を片端調べてみました。女性に限ったのはその方が長命だからと考えたからです。すると――、

 江戸時代の初めから春日局(64歳)、大坂夏の陣で死んだ淀君の二人の妹、初(63歳)、江(53歳)。幕末から坂本龍馬の姉の乙女(47歳)、妻のお龍(65歳)、オランダおいね(76歳)、明治〜昭和の文豪・芸術家より与謝野晶子(64歳)、林芙美子(48歳)、岡本かの子(50歳)、平林たい子(67歳)と、私や母の疑問に答えてくれそうな人はほとんどいません。
 たしかに中には恐ろしいほど長命な人もいて、佐多稲子(94歳)、宇野千代(99歳)、今で言えば瀬戸内寂聴さん(92歳)は怪物並です。しかしこの人たちはすべて生涯現役で、社会から必要とされ続けた人たちです。私たち凡人の手本にはなりえません。

 こう見て来ると「第四の人生」はここ数十年の間に初めて立ち上がってきた概念で、今後真剣に探求しなければならない、現代的課題であることが分かります。長命な一族としての私も、そっぽを向いて過ごすわけにはいかない問題です。
 どうしたら良いのでしょう。