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「黒板」④〜黒板の工夫

 黒板の使い方がうまいかどうかを見分ける簡単な方法があります。授業の途中から入っていってその時点まで何をやってきたかが分かる板書(黒板の記述)、それが優秀なのです。これは重要で、子どもたちは授業中しばしば気を失います。ほんとうに失わないまでもしばらくボケーッとしたり別のことを考えていたりしているうちに授業がわからなくなってしまうのです。そんなそのとき黒板に目をやり「ああ、こういうことをしていたのだ」と分かる黒板が「よい黒板」で、板書の役割のひとつはまさに“それ”だと言えます。

 また授業が終わったとき、黒板全体がムダなく使われていて、授業の契機、実際の活動、まとめがきちんと納まっていたら、それは完璧な黒板ということになります。最初から計画していない限り、そんな黒板はできあがりません。そんな観点で参観日に出かければ、自分の子の担任がすごいかどうかはすぐにわかります。

 ところで、そうした点について私自身はどうだったかというと、これがまったく×(ペケ)なのです。黒板のそうした重要性はすべてここ十年余りの間に、優秀なベテランと若い教員よって教えられたことです。また1時間の授業の中にきちんと内容を収める技術は、最近になって飛躍的に向上したと言えます。

 私などはそうとうにだらしない方で、常に授業を積み残し、「じゃあ、続きは次の時間に――」みたいなことを繰り返しやってきました。次の時間、私は覚えていますが、大半の子は何をやったのか忘れてしまっています。なにしろ彼らは9教科も同時に学んでいるのですから、その一つひとつを正確に記憶していることなどありえないのです。
 そこで“次の時間”は前時の復習から入ることになるのですが、これけっこうたいへんで、前の時間の最後と同じような、それに近い黒板をつくることから始めなければなりません。そうしないとうまく進まない場合が多いのです。
 たっぷり時間をかけて復習するのでまた時間が足りなくなり、再び積み残しが出たりします。これではいつまでたっても正常なサイクルに戻れません。

 そこで私が考えたのが小学校の先生がよくやっている「模造紙黒板」でした。
 これは黒板に模造紙を貼り付け、普段の板書と同じように、しかしフェルトペンで記述していくという単純なものです。ホワイトボードと違って模造紙だとペンも滑らず、ほどよく書けます。そして授業が終わると模造紙を回収し、次の時間はそれを広げるところから再開します。これだと1分で始められます。
 さらにしばらくすると、書いた模造紙を教室に貼って出て来るという新しい技まで考え付きました。学級担任には申し訳ないのですが、これだと何人かは丸一日、あるいは2〜3日間、授業の復習をし続けてくれたりするのです。黒板の「結局消えてしまう」という欠点を大きく補うものでした。ただし――。

 このやり方はわずか一学期で破綻します。教科会に割り当てられた一年分の模造紙の大半を、私一人で使い果たしてしまったからです。どんなアイデアも、予算的裏付けがなければ続けられません。
 かくして再び黒板の再構築(授業の始まりに前時と同じ黒板をつくる)の泥沼にはまり込んでしまったのですが現代の教師はどうか――。

 数年前のある日、同じ教科の若い先生の授業を見せてもらい、私はびっくりさせられました。
 彼は初めにA5版のプリントを配り、受け取った生徒たちはハサミを入れてそれを小さくし、ノートに張り付け始めたのです。印刷されていたのは前時の終了時の黒板の写真で、全員にいきわたると彼は、
「前の時間はここまでやりました」
それ授業が始まります。なんのことはない、授業が終わるたびにデジカメで写真を撮っていたのです。

 ついでですが私にはもう一つ悩みがあって、それは考えさせたい時間に必死に黒板をノートに写している生真面目な子たちがいるという問題です。ノートに記録しないと不安で仕方のない子たちです。しかしその子たちも、次回に板書が配布されると保障されていればムダに時間を使うこともありません。

 私だってデジカメは15年近くも使ってきたのです。そんなやり方があるなんて――まさに若者恐るべしです。

(この稿、終了)