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「誰も持っていない、私一人のデジタル教科書」~学校の教科書がデジタル化されるらしい③

 デジタル教科書の強みは、何といってもインターネットとの相性がいいことだ。
 教科書の記述から、どんなコンテンツへもいくらでも飛んでいける。
 もちろん最初はお仕着せのもので
あっても、
 やがて私たちは、自分が教えるための自分だけの教科書を、
 自由につくるようになるだろう。

という話。

f:id:kite-cafe:20201009071732j:plain(写真:Unsplash)

 

【現在のデジタル教科書】

 文科省が学校の教科書をデジタル化するというニュースが流れると、ネット上では大いに期待する声とともに「まさかPDFを貼るようなデジタル教科書じゃないよね」といった冷ややかな声もありました。
 おそらく、最初はその「じゃないよね」から始まります。というのはすでにデジタル教科書は、ほぼそういう形でできているからです。

 代表的なところで光村図書(体験版 令和3年度版 中学校)と東京書籍(学習者用デジタル教科書・教材)、そして教師用の見本として帝国書院平成28年度版デジタル教科書のご案内)のWebサイトを挙げておきます。
*光村図書の体験版は携帯及び特定のブラウザで見ることができません。簡単に内容を知りたい場合は、東京書籍の動画がお薦めです。

 見てすぐに分かる通り、現在のデジタル教科書は紙の教科書を基本として、視覚に障害のある生徒のために文字や画像を拡大したり、読むことが苦手な子に音声で読み上げたりするといった学習支援の要素の強いものです。実際に紙の教科書が中心の現状で、高価なデジタル教科書を導入するのはそうした特殊な場合だけでしょう。

 一方、帝国書院のサイトから教師用のデジタル教科書を見てみると、こちらは大型の電子黒板を利用して授業を進めるための教材なのですが、例えば「授業スライド」で嫌だなあと思うのは、何の独創性もいらない、活動写真の弁士のように、順次出てくるスライドに合わせてそこに書かれている文を読めばいい、そういった傾向がとても強いことです。
 歴史絵巻の「授業スライド」では、上に「この人々は何をしているのでしょうか」などといった文字が出てきます。教師は内容を広げたり、解説を加えたりして理解を促しますが、結局「この人々は何をしているのでしょうか」の枠からは出られません。同じ絵から別の学習をさせたいことだってあるのです。素人や駆け出しならまだしも、10年以上も教師をやって来てこんなマニュアル化された授業をやらされたらかないません。

 しかし現状のデジタル教科書がまるでダメかというとそうでもないのです。そこには非常にたくさんのヒントがあります。
 
 

【夢のデジタル教科書】

 例えば帝国書院のデジタル地図帳には拡大機能があって、現在のところは紙の地図の拡大でしかないので限度がありますが、いずれはGoogleマップのように際限なく近づき、際限なく遠ざかるようになります。さらにGoogleマップではできないこと――ボタン一つで白地図や土地利用図、農業地図等と切り替えられる、さらにそこからGoogleEarthに瞬時にと飛び込み実際の街の様子が見られる、そんなふうにもなるかもしれません。
 地図上に書き込みができてそれをプリントアウトでき、さらに自分のフォルダに保存できる、そういうことも可能でしょう。たぶん、すぐにもできるようになります。

 光村書籍の国語の教科書には文章を読み上げてくれる機能があります。もちろん教室では先生が読んでくれるからいいのですが、家で練習ということになったらありがたい機能です。
 何か気のついたことをペンで教科書の隅に書き込む機能も大切です。昔と同じように、作者の顔写真にヒゲやらメガネやらを書いてしまう子がいるかもしれませんが、それもやむをえません。
 教科書はデジタルになっても子どもは変わりませんから、そんな悪さをする余地も残しておきましょう。

 しかしこれらの機能はそれほど大したものではありません。デジタル教科書の最も強力な機能は、左下にある「はる(リンク・がぞう)」、つまり自らに合わせて画像やリンクを貼り、カスタマイズできるということです。
 
 

【教師である、わたし独自の教科書】

 「はる(リンク・がぞう)」はよほどのことがない限り生徒はあまり使わないものです。しかし教師にとってはとんでもない武器です。

 というのは、これまでどれほど熱心に教材研究をしてきても、それを提示できる形にするのが実に大変だったのです。
 資料をプリントにしたり模造紙に書き写したり、あるいはPowerpointに作り変えたり――。大型カラープリンタが学校に入ったときは、うれしくて、うれしくて、あらゆる資料をポスターに変えて、おかげで一年分のインク代を2カ月ほどで使い切って事務の先生からえらく怒られたこともあります。しかしそれらすべてが「はる(リンク・画像)」で簡単にできるのです。

 教師は教材研究の過程で得た画像やリンクをデジタル教科書のあちこちに貼り、教科担任独自も教科書にしてそれを生徒にダウンロードさせればいいのです。
 例えば文章の途中の「織田信長」という部分にリンクを貼って、信長の写真を見せたり簡単な人物紹介を見せられるようにすればいい。自分が撮った写真や作った図、word文書もどんどん張り付けていけばいい。
 おそらくそんなことは教科書会社もやってくれるでしょうが、「実際に自分が使いやすい教科書」ということになったら自分の作ったものが一番いいに決まっています。ちょっとした豆知識などは、何を選ぶかは教師の個性に関わる部分です。

 専門の教科書会社のつくるものですから、おそらく初期状態でかなりの高度なものが出されてくると思いますが、同時にそれは教科担任が腕前を発揮できるものでなくてはなりません。自分流に成長させられる教科書ということです。
 それはたぶん早い段階から可能となります。なぜならいかに教科書会社とはいえ、すべての教師に満足してもらえるコンテンツを用意できるはずがないからです。どうしても改良の余地を残さざるを得ません。
 
 

【相互性、そして心配なこと】

 いま気になっていることは、子どもたちのノートと学校の黒板はどうなるのかということです。
 教師がデジタル教科書に情報を出せるようになると、黒板を使う必要がなくなります。なぜなら板書というのはあれでけっこう面倒くさいのです。
 書くのが面倒というのではなく、黒板に何かを書くと必ず考えるのをやめて、ノートに写し始める子がいるからです。あとで消すことになる部分まで書いてしまう子がいます。書いておかないと不安なのでしょう。
 ですから私は黄色のチョークを使って板書し、「あとで必ず白で書き直すから、絶対に写すな」とまで言ってとどめたものです。
 しかしあらかじめ用意しておいた板書内容を、授業の最後に一瞬にしてデジタル教科書に提示し、生徒のデジタル教科書に送ることができるとしたら、私が書く手間も、生徒も写す必要もなくなり、黒板もいらなくなります。

 では生徒のノートは?
 これも理屈上はタブレットにして、「では〇〇くん、前に出て黒板に書いてみてくれる?」みたいなことはやめて電子黒板に出力してもらえばいいことになります。
 5年、あるいは10年以上かかるかもしれませんが、未来はきっとそうなるでしょう。


 心配なことはひとつだけ――放課後の小学生の様子などを見ていると、ランドセルのままで走ったり転んだり、面白いものを見つけると平気で投げ捨てて飛んで行ってしまいます。

 タブレットの予備と修理費をどれほど用意しておいたらいいのでしょう? あ、それと毎日充電させることもきちんとやらないと、トイレに行きたがること充電に行きたがる子の両方に苦しめられることになるかもしれません。