「もっと英語を話そう」

 しょっちゅう英語教育の悪口を言うので、英語に反感を持っていると思われているかもしれませんが、そうでもありません。中学高校と「英語」は苦手科目でしたから親近感もないのですが、英語が好きで将来は通訳になろうというような人の学習を妨げるつもりはありません。ただ義務教育で行う外国語の早期教育と過剰教育に反対しているだけです。

 数学や理科に向き不向きがあるように、外国語には向く人と向かない人がるのです。それを一律にやれば無意味に苦しむ子が出てくる――生涯外国語と無縁に生きる人の方が多いのですから、余計な苦痛はできるだけ減らした方がいい、それが私の考えです。

 しかしもちろん外国語の習得が大した手間のかからない簡単なことなら、ああのこうのという話でもありません。要は費用対効果なのです。努力しないでも外国語がモノになるなら、私だって頑張ったに違いありません。

 これについて、最近私はとても有効なアドバイスを得ました。

 ロンドンでは、さまざまな出自の人々が英語をすっかりメチャメチャにしてくれているが、われわれイギリス人の耳はそうした英語にもう慣れっこになっている。自分の国の言葉をよその国の人に不正確に話されるのは、母国語が世界共通語になったことの代償と言えよう。実際、世界には英語を母語としてよりも第二言語として話す人々の数の方が多いのだから、もはや正しい発音の絶対的な基準というものすら怪しくなってきているのかもしれない。

『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート』 (生活人新書2006/12/1)

 そうです。英語でコミュニケーションをとるのに、“こちら”の発音や文法が正しくなるのが正道ですが、ダメなら“あちら”の聞き取り能力が高まればいいのです。どちらか一方が優秀ならコミュニケーションなんて何とかなります。そして“あちら”は、(少なくともイギリス人は、さらに少なくともロンドン人は)、すでにその準備ができているのです。

 そうした事情は、おそらくアメリカ人も同じでしょう。以前にも紹介しましたが、私はかつてALTからこんなことを言われたことがあります。

「お前の英語は、オーストラリア人の英語よりはるかによくわかる」

もはや方言化したオーストラリアン英語でまくしたてられるより、たどたどしくゆっくり話す私の英語の方が理解できるということなのです。なにしろ彼らは、“へんな英語”に対して耳が肥えているのですから。

 こんなアドバイスを40年前に受けていたら、私はもっと外国人を恐れず、平気で言葉をかけていたはずです。そして難なく上達したのかもしれません。もったいないことをしました。

(ただし、40年前のイギリス人やアメリカ人の耳は、今ほどよくなかったのかもしれません。難民が大量に流入して英語や米語をめちゃくちゃにしたのはここ20〜30年のことかもしれないからです)。

 繰り返します。

 イギリス人やアメリカ人は、何種類ものピジン英語(母国語化した英語)にさらされて耳を肥やし、そうとう滅茶苦茶な英語も聞き分けられるようになっている。だから安心して、キミの滅茶苦茶な英語で話しかけてごらん、きっと通じるから。それにキミの誠実なチャレンジ精神は、かならず外国の人に好印象を与えるはずだよ。

 そういうことです。