「学校と避難所」b

 昨日になってようやく熊本の支援物資はわずか10人の職員が仕分けしているという報道があり、大量のボランティアが熊本県民総合運動公園陸上競技場(「うまかな・よかなスタジアム)に向かって本格的な仕分け・発送が始まったようです。

 避難者が10万人を超えているというのに、たった10人で対応しようとしたとは(ひとり一万人分!)、担当の職員の皆さまにはほんとうにご苦労様と申し上げるとともに、トップは何を考えているのだと怒りに似た気持ちが浮かんできます。

 私は東日本大震災のときの総理大臣が、K氏ではなく他の人だったら千人以上の人命を救うことができたと信じています。私が首相でもできました。

 震災のような危機的状況で一番必要とされるのは有能でよく働く人、二番目は有能な怠け者(自分が怠けたいから効率の良い仕事をしてくれる)、三番目が無能な怠け者(これが私)、最悪なのは無能なくせにやたら動く人です。能力のない人はおとなしくしているに限ります。

 どんな場にもそこに一番ふさわしい人がいて、その人が指揮をしてくれればほとんどの場合うまく行く、それが世の必定です。

 さて、かつて教職にあったとき、私の学校も避難所に指定されていたので、いったい何をしなければならないのか、説明会に行って驚きました。何もしなくていいのです。

 学校に一番近い職員に鍵を預け、いざというときは市の担当者がそこへ行って鍵を受け取り、校舎を開けて避難所を開設する」というのです(学校はそのことを承知しておいてください――)。

 市としては学校に迷惑をかけたくないといった思いがあったのでしょうか、それとも学校に任せると意のままに動かせないと二の足を踏んだのでしょうか、いずれにしてもたった2名で避難所を開設し運営しようというのです。それだってメルヘンみたいな話ですが、逆に数十もある避難所に2名ずつも職員を当てて、市役所自体が災害対策の中核として、仕事が果たせるのでしょうか。私は愕然としました。

 しかしそれからしばらくして東日本大震災があり、見ていると東北各県も行政が避難所を開設し運営するということになっていたらしく、学校が最初から前面に出るようなことはなかったみたいです。ただし東日本大震災の場合は津波で道路が寸断され、担当者が予定した場所にたどり着けない例も多く、そうしたところでは町会や学校が中心となって開設し運営も開始したようです。これが案外うまく行った――。

 特に学校は管理責任者である校長が真っ先に学校に駆けつけ教職員も駆けつける。そうなると必然的に彼らが全体を見なくてはならなくなり、自然に運営の主体となって行く。教員組織がそのまま運営組織になるのです。もともと働いていた組織ですから動きもいいに決まっています。それに教員というのは、こういうことをやらせると実にうまいのです。

 学校というのはもともと、「同年齢で同じ地区に暮らしている子ども」以外なんの統一性も目的もない人間を組織し、一定の方向に向け、日々研鑽させることを生業としている場です。その対象者が老若男女入り乱れた雑多な地域住民に代わっただけでやることはほとんど変わりません。むしろ「とにかく生命を確保し、とりあえず数日の衣食住を確保し維持し、生き残る」という共通の意識を持っていますからやりやすいくらいなものです。

 また、教員はコンピュータも使えれば(電池がある限り)、模造紙とマジックを使って名簿や開示物をつくるとか、黒板やホワイトボードの扱いとか放送機器の使用とか、そういうことも得意です。そしてなにより、この人たちはひとにものを説明したり考えさせたり、やらせたりすることが得意といった性質を持っています。

 だから私は、

「制度上は市の職員が避難所を開設・運営することになっていますけど、実際には私たちがやらなければならなくなります。何百人も押し寄せてきて市職二人では名簿すら作れなくなり、水洗トイレがバンバン使われて貯水タンクが空になり、体育館ばかりでなく教室まで片っぱし占拠されてニッチもサッチもいかなくなり、そのあとで下駄を預けられるくらいなら最初からやった方がいいのです。ここは私たちの職場です。それにそうしたことには私たちが一番長けているからです」

 そんなふうに先生たちと話していました。

 しかし実際に避難所の運営をすることはなく、それはそれでもちろん幸せなことでした。

                              (この稿、続く)