非違行為と受忍限度そしてアン・サリバン�A

 非違行為防止、綱紀粛正を極限まで推し進めていくと正常な教育活動ができなくなるというお話をしました。そしてその矛盾を解決するカギは「受忍限度」という考え方だというところで昨日のお話は終わりました。つまり「九九を暗記する苦しみ」と「九九を覚えないためにのちに受けるだろう苦しみ」とを比べると、前者の方がまだ「我慢できる範囲内にある」から強制してもいいと考えるのです。この「我慢できる範囲」のことを受忍限度と言います。

 その考え方に立てば、部活顧問の携帯の中に保護者の電話番号が入っていることも受忍限度内です。なぜならその携帯を紛失して個人情報が悪用される可能性およびその影響と、持っていないことによる危険性とその影響(急な日程変更への対応の遅れ、遅刻した生徒への対応ができない、生徒のけがへの対応が遅れる等々)、この二つを比較すると後者の方が圧倒的に深刻だからです。

 テスト中に眠ってしまった子は起こしてやればいいのです。そんな状況でも声をかけてもらえない子は不幸です。ただし中学校3年生の実力テストなどでは「本番と同じ厳しさでやる」と宣言して寝た子はそのままにしておくこともあります。

 制限速度40km/hの一般道を制限通りに走る車はそうはいません。警察車両ですら15km/hオーバーで走っている事実を私は知っています。そうしないと無用な渋滞を引き起こしてしまうからです。しかし20km/hオーバー、30km/hオーバーだと話は別です。それは受忍限度を越えてしまうと常識は教えます。また15km/hオーバーで走っていても、無事故ならいいのですが事故を起こせば15km/h超過の責任を問われます(だから他の車のドライバーをイライラさせても制限速度を守るという考え方は当然あります)。

 公式には制限速度は1km/hの超過も認められません。警察もダメだというに決まっています。同じように、少しでも人権蹂躙と疑われそうなことは認められません。個人情報の扱いやテストへの取り組みは冷徹なほど厳正でなくてはなりません。それが公式のアナウンスです。

 しかし同時に、「正しいこと」「正義」について考えるとき、内田樹のいう、

「その正義を全員が真面目に守ったら、みんなは幸せになるのか」

 という観点も忘れてはならないのです。

 ヘレン・ケラーの家庭教師のアン・サリバンはこんなふうに言っています。

「彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました」

 ヘレンに会ってわずか数日後のことです。しかしこの絶対服従を求める家庭教師は同時に、生徒の成長にいちいち小躍りして喜びの声を上げるような人でした。

 現代の日本にもサリバンのような教師はいくらでもいます。そういう人たちが非違行為の訴えを恐れるあまり、必要な教育を控えるのはゆゆしき問題です。しかしだからといって皆が次々と訴えられ、優秀な教員が一人また一人と現場から消えてしまうのも困ります。

 崖っぷちの教育ということにもなりかねませんが、必要なことは粛々とやっていくべきでしょう。